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2024年1月4日木曜日

マイルドニッカとマイルドロボ

 E.T.という映画が日本で公開されたのは、映画.comによると1982年12月4日。

当時はとんでもない人気で興収記録を塗り替え、以降長らくそのタイトルを維持しました。

小学校2年生だった自分は、年が明けて1983年のお正月に両親と日立の祖母の家に帰省した際に、映画館で観ました。

映画の冒頭部は夜の暗い中でE.T.と遭遇するスリリングなシーンが怖かったですが、主人公の男の子とE.T.が友情を育んでやがて別れを迎える物語に、幼かった私は痛く感動し、高校生くらいになるまでマイベスト映画でした。

50年近く生きてきた中で、2回映画館に足を運んだのはE.T.だけだったと思います。

そんな社会現象であるといってもよいくらいだったE.T.の人気が下火になり始めた1983年に、マイルドニッカウヰスキーのCMに登場したのがマイルドロボのアポジ―とペリジーです。

あの頃の人であればすぐにピンときたはずですが、まさにメカE.T.と呼んでも差し支えないくらいフォルムがE.T.と似ているのですね。

そして、ロボットだからといって宇宙にいなきゃいけない必然性はないのですが、CMでは当たり前のように宇宙が背景になっておりましたので、きっとE.T.を意識していたのでしょう。

今でこそ昭和レトロな味わいのあるルックスに見えてしまいますが、当時はスタイリッシュな最先端デザインのロボット。

BGMの松任谷由実「不思議な体験」も凄く未来感があってロボットが宇宙にいる映像とマッチしているのですね。

埋もれた名曲と思います。

最近、懐かしくなってマイルドニッカのCMについて調べたところ、このロボットのオモチャがあったことが判明し、ヤフオクで入手することができました。


このおもちゃ、結構優れものでして、光センサーを備えております。

そして、センサ―で色の境界を識別しながら経路をはみ出すことなく移動してくれるのです。

ガーガーとうるさい駆動音がします。

Youtubeを探したところ、当時のCMがありました。

このCMで視るマイルドニッカはまさに未来宇宙のエナジードリンク。

透き通った飴色のルックスは美しく、子供心に憧れの飲み物で、両親におねだりしたのですが「何言ってんだ」くらいに一蹴されてしまい、そのまま無念な気持ちを封印、40年の歳月が経過してしまったのです。

そしてこの度、ついにマイルドニッカをヤフオクで入手しました!

せっかくなので、販促品のストレート用グラスとオンザロック用グラス(ONNA ROCK)も合わせて入手。


40年の歳月を超え、憧れのマイルドニッカを口にする瞬間が来ました。

ストレートを選び、最初の一口。
ん、ほぉほぉ。

そして、ロックで一口。
あー、なるほど。

結論から申し上げますと、、スコッチブームを経て舌を肥やしてしまった我々の視点からすると、「パンチの無いスカスカした味わい」となってしまいます。。
「山﨑」や「鶴」で味わえる華やかな樽の香りやほのかな甘み、マッカランやボウモアで味わえるピート香など、高尚な風味は一切ございません。
40年の歳月を経る中で気が抜けてしまったという可能性もありますが、マイルドニッカはバブル期前の国産酒ですので、これはやむを得ないですね。

でもまあ、良く言えば癖がないというか。。
これをもって「マイルド」と言われればそうかも。。
悪酔いはしなさそうですので、寝酒などの用途で水割り等で飲むと良いかもしれないです。
癖がなくすっきりしている分、量は飲めてしまいそうなお酒です。

動画も作成しましたので、是非ご覧ください。

2023年6月10日土曜日

前回の続きでもう少し消防関連…

前回松戸市消防出初式の記事を投稿し、長らく鳶の方々を消防署の人と誤認していたことをお伝えしておりましたが、私が消防関連の方と勘違いしていた人物がもう一名おります。

私と同世代の人なら覚えているはず、日本船舶振興会のCMに出演していたおじいちゃん、笹川良一氏です。

YoutubeにCMの動画がありましたのでご覧ください。


WikipediaによりますとこのCMは1976年から1994年に放映されていたのですね。
あんなにも身近な存在だったのに、いつの間にかテレビから消えていて気付きませんでした。
改めて視ると懐かしいです~。
そうそう、曜日ごとにバリエーションがあったんですよね。
すべて薄っすらと既視感がありますが、特に濃く記憶が残っているのが月曜日、火曜日、日曜日のバージョンです。

また、自分の記憶の中ではテレビアニメ「一休さん」と一体になっておりますので改めて調べたところ、日本船舶振興会は一休さんのスポンサーだったとのことで、記憶の裏が取れました。
一休さんは、私が視ていた80年代初頭には月曜日の19時半から放映されていたとのことですので、CMの月曜バージョンをよく覚えていることとも整合します。


ちなみに、よく思い出せませんが火曜日は「怪物くん」か「フクちゃん」、日曜日は「サザエさん」か「ガッチャマン」あたりとセットだったのですかね。
 
当時は、このおじいちゃんは消防署かなんかの偉い人のように見え、また後半に表示されるモーターボートにも関係があることが推定できますので、謎めいた印象でした。

後になって知ってみれば、このおじいちゃんは巣鴨プリズンにも収監されていた昭和の大物政治家ということで、CMで見せる優しい印象からは伺い知れない海千山千のフィクサーだったのですね。

笹川良一氏、太鼓をたたく高見山、おちゃめなチンパンジー、楽し気に纏を振り回すおじさん(テーマ曲を作曲された山本直純氏とのこと)という凸凹な個性を子供達の存在が中和して見事にハーモナイズさせており、実に印象的かつ秀逸なCMでした。

話が変わるのですが、もう一つ消防関連で思い出される出来事があります。
昭和56年(1981年)10月に発生した大勝院の火災です。

ネット上には正確な日付の情報がありませんでしたが、国立国会図書館にて「ヨミダス歴史館」という読売新聞のバックナンバーを検索できるデータベースを利用して調べましたところ、『松戸の「大勝院」焼く 歴史五百年の祈とう寺』という記事がみつかりまして、火災が発生したのは1981年10月17日(土)の21時頃ということが分かりました。

記事中では「松戸署で原因を調べている」と、その時点では原因不明である旨記載されていますが、ホームレスのような人が焚火をして引火したのだと当時聞いた覚えがあります。
(幼いころの記憶なので正確かは分かりません。)

土曜日の21時頃といえば、ちょうどドリフの「8時だョ!全員集合」を見終わってお風呂に入るくらいのタイミングだったことでしょう。
かなりの数の消防車のサイレンが鳴り響いたこともあって、尋常ならざる火事が起こっていることや、その方向は幼児だった自分にもすぐに分かりました。
マンション(新松戸コーポ)の通路に出てみると近所の方々も出てきていて、皆で火事の成り行きを見届けたのでした。
時間帯が夜だったこともあり、火の粉を噴き上げ轟轟と燃える大火災の様子は圧倒的ド迫力。
記事によれば「一時は火の手が四、五十メートルも上がった」とありますので、やはり相当大きな火事だったことが分かります。
人命被害等なかったのは幸と思います。
あれを上回る凄い火事はその後40年を経ても見たこと無いですね。。

大事件だった割にはあまりネット上に情報がありませんでしたので、記。

2023年1月25日水曜日

1980年の松戸市消防出初式

1980年1月のこと、5歳だった私は母に連れられて消防の出初式を見物に行きました。

場所はといえば、現イオンフードスタイル新松戸店(旧ダイエー)がある敷地でして、翌年の1981年にはダイエーがオープンすることになるのですが、この時はまだ空き地だったんです。

幼い私にとっては見上げる程高い梯子の上で「消防士さん」が披露する、キレッキレの技が衝撃的で、忘れられないシーンとして脳裏に刻まれているのでした。

ところが、その後お目にかかる機会もなく、写真も残っておらず母も既に他界しておりますので、実際に行われたかどうかもおぼつかない幻のような思い出になってしまっていたのでした。

先日、松戸市広報課が長年にわたって「広報まつど」用に撮影した貴重な写真が、松戸市立博物館に収蔵されていることが分かりまして、有難くも閲覧させていただく機会を頂きました。

その中に、なんと当時の消防の出初式の写真を発見いたしまして、私の幻のような記憶が真実であったことが確認できたのです!

写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

写真を見つけた時は「オーーー!!!」と思わず歓声を上げてしまいました。

何とも凄い写真です。

写真の周辺部から見ていきますと、背景に「新松戸ファミールハイツ」が見え、左隅の比較的近いところに「三菱銀行」(現三菱UFJ銀行新松戸支店)が見えますので、この場所がどのあたりなのか理解するのに役立ちます。

遠くて識別できませんが観衆の中には、きっと幼い私と母もいるのだと思います。

そして写真の核心部分となる、梯子乗りをしている方々をよく見ると「松若」と書かれた法被を着ており、写真右側の人は同じく「松若」と書かれた立看のようなものを持っています。→立看のようなものは「纏(まとい)」というものだそうです。

また、はしごを抑えるために使用している棒のような道具は「鳶口」というもので、Wikipediaによりますと、下記のような説明があります。

さらに、「松若」とは何ぞや?とネットで調べてみましたところ、「松戸若鳶会」であるということが分かりました。

2022年に松戸若鳶会では50周年記念式典が行われたとのことで、その時の写真が掲載されているサイトが見つかりました。

ありました!1980年の写真に写っている纏と同じに見えます!


もう少し調べますと、コロナが流行する前の令和2年には松戸市消防出初式において、梯子乗りも行われていたことが分かりました。
(残念ながら今年令和5年の出初式のプログラムに梯子乗りは無いようです。)

そう、梯子乗りをされていた方々は消防署の消防士さん達ではなく、地域の消防を草の根的に支えていらっしゃる鳶職の方々だったのですね。

幼い頃にはそんなことは理解できませんでしたので、消防の出初式で凄いものを見れば「消防士さんスゲぇー!」となってしまいましたし、ボーっと何も考えずに生きてしまえば、そのままアラフィフになるまで「消防士さんスゲぇー!」と思い続けてしまうわけです。

この記事を書くまで、消防士さん達は火事が無いときには梯子乗りの練習をしているんだと本気で思っておりました。。

長いこと鳶職の方々に大変申し訳ない勘違いをしていたなと思います。

改めまして鳶職すごい!と心から思います。

今回、写真の発見によって色々なことが分かり、そして私の幼心に幻として封印されていた謎をまた一つ退治することができました。感無量です!

是非また松若の梯子乗りを生で見てみたいものです。これからは毎年松戸市消防の出初式をチェックせねばなりません。。

ところで最近、新松戸在住の私の親世代の方と知り合いになる機会がありましたので、件の出初式の話を切り出しましたところ、あの場所が空き地だった頃は各種イベントでよく使われていた、という話を伺うことができました。

木下大サーカスが公演したこともあったそうです。像を3頭も連れてきてたのだとか!

うちの両親は情報に疎いタイプですので、きっとチケットが取れなかったのでしょうね。

今更ながら大変残念です。。


2023年1月3日火曜日

昭和風ガチャガチャという懐かしいアイテム

殆どの日本人がガチャを回しながら育ったと言っても過言ではないと思います。

私も4歳くらいのときには、毎週金曜日に母から貰うお小遣いを握りしめて、当時新松戸コーポの駐車場内にあった中山酒店でガチャを回していたのを記憶しております。

目当ての景品は、主にウルトラマンの消しゴムや昭和レトロなキーホルダーなどでした。

あっという間に四十数年の年月が流れアラフィフになった私ですが、今は昭和50年代くらいのおもちゃを集めるのが趣味の一つになっております。

特に昭和レトロな小物類は安いこともあり、ついつい買い過ぎてしまいまして、 オモチャ棚がいっぱいになってしまいました。

小さめのキーホルダーやスーパーカー・ウルトラマン・ガンダム・キン肉マンの消しゴムなど、下の写真以外にもかなりの数があります。


新しいディスプレイ棚が欲しくなったのですが、どうせなら棚自体にも昭和レトロ感を出したいところですので、何がベストか考えて思いついたアイディアが「ガチャガチャマシーンを使う」というものでした。

元々ガチャの景品だったような品も多いので、ガチャガチャマシーンに入れるのであれば、こいつらにとっては里帰りのようなものかもしれません。

単にディスプレイするだけにとどまらない楽しさがあって、結構ナイスなアイディアじゃないですか!?

私が幼少の頃を過ごした40年前のあの時代に、どんなガチャガチャマシーンを使っていたか、正確には覚えていません。

今時オークションなどで手に入る昭和レトロ風なガチャガチャマシーンは「あミューズ」という会社の「ガチャコップ」という製品です。

あミューズの会社概要によりますと、ガチャコップの発売は2005年とのことですので、私が幼少の頃お小遣いを貰ってはレバーを回していた機種と違うことは確かなのでしょう。
でも、このマシンを見ると妙に懐かしい感じがしますので、1980年代のあの頃にも類似品があったのかもしれません。

早速、ガチャコップ2台と台座のセットをヤフオクで買って改造しました。

今回入手したガチャコップですが、長年屋外で風雨にされされていたらしく、かなりボロボロでした。

ガチャカプセルの取出し口が割れていたり、ペンキが剥がれていたり、台座のキャスターが錆びたりしています。
結構修理が大変そうですが、覚悟を決め、分解して修理していきます。

まずは、ガチャコップ本体を台座から外します。

鍵を開けて分解します。
上の写真で私が手に持っている金属製の部品を「コインメック」と呼ぶのだそうです。


100円玉を入れなくてもレバーを回せるようにするため、コインメックを分解して仕組みを調べます。


100円玉を入れてレバーを回すと、100円玉の丸い輪郭で留め金が押し上げられて、そのまま歯車が回転していきます。


100円玉が無い場合、留め金が降りて歯車に引っ掛かるので、歯車が回転できないのですね。
なるほどー。


留め金を摘出してしまいました。
これで、100円玉が無くても歯車が回転するようになりました。


必要なネジや外蓋をつけて、無限コインメックの完成です。

無限ガチャにするための改造が完了しましたので、あとは汚いところのリノベーションを行います。


まずは、サンダーでボロボロだったサーフェスを磨きます。
多分、前のオーナーがペンキを塗ったのだと思いますが、ザツな塗り方をしていたためか、表面がザラザラになって余計に汚くなっていました。
まあ、ビジネス目的でガチャを所持している場合は細かい点にこだわってられないのも致し方ないかもしれませんが、それにしても...


本体のガチャ玉取出し口の割れている部分をエポキシパテで補填します。
乾いたらやすりで平らに削ります。


タミヤのラッカースプレーでサーフェスを塗装します。

台座も錆びや汚れが目立ち、ひどい状態ですのでリノベーションが必要です。


ブラシドリルと掃除機で錆を落とします。


あらかた錆がけずれたら、残った錆はラストリムーバーを塗って落とします。
これ、初めて使ったのですが、不思議ですね。
塗ったところの錆が消えるように無くなっていくんです。。
ただ、ひどい錆には力不足ですので、大方は削っておく必要があります。


錆が落ちたら、ペンキを塗ります。
この台座は、元々白色だったんですね。。
錆を落とすためにドリルブラシで表面を削ったところ、黒い塗装の下から白い下地が出てきました。
きっと、これも前のオーナーが黒く塗ったのでしょうね。
錆の上からペンキを塗ってあり、やはりザツな感じでした。


キャスターも新しいものに取り換えます。


台座のリノベーションが完了しました。
表面がピカピカになり、キャスターもスルスルと滑らかに動きます。
やった!!

一応、ここまででガチャコップ本体と台座のリノベーションが完了したのですが、中に入れるガチャカプセルの準備も大切なので、忘れてはなりません。

最近のガチャカプセルは、昔のガチャカプセルと違ってサイズが大きかったり、半開きの作りになっているのですね。
せっかくですので、昭和風のガチャカプセルを入手して小物類を格納したいものです。


左側と真ん中の2つが今時のガチャカプセル、右側の1つが昭和風のガチャカプセルです。
色々調べたのですが、現在昭和風のガチャカプセルの新品を入手することはできないようです。(昭和風カプセルの規格は48mmです。)

時折、ヤフオクなどにデッドストック整理品等が景品が入った状態で出品されることがので、そのチャンスを逃さずにゲットする必要があります。
ただ、中身の景品を目当てにした入札者がライバルになりますので、それなりの価格になってしまいます。。


そんなわけで、かなりの工程を経てガチャコップのリノベーションと改造が完了しました。
昭和小物のコレクションを格納するには最適なこだわりの一品だと思います。

一連の作業の様子は動画にもまとめてありますので、是非ご覧ください。

2022年1月18日火曜日

昭和30年代初頭の流山の写真

今回は70~80年代の新松戸という趣旨からは少し外れてしまうのですが、以前飛び込みでお邪魔した老舗様からお借りした昭和30年代初頭の流山の写真をご紹介します。

自分が産まれるずっと前ですので、自ら語れることはほとんど無いのですが、貴重な資料と思いますので何か思い出やご存知のことがある方はコメント頂けますと幸いでございます。

撮影された方は既に他界されているとのことでしたが、写真の裏側には撮影した機材や日付、場所が記載されているものもあり、また展覧会で受賞したと思われるような記載もありますので、かなり本格的に写真を撮られていた方のようです。

1枚目は「東邦酒類株式会社 撮影日33.12 題名 運搬 佳作」と記載のあった作品です。


昭和33年といえば1958年のこと。Wikipediaによりますと、この年の出来事としては「東京タワー完工式」、「巨人・長嶋茂雄選手、4打席4三振デビュー」などが挙げられるようです。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中で東京タワーが完成しますので、ちょうどこの頃を扱った映画として当時の時代背景を想像するために助けになるかもしれません。


東邦酒類株式会社については流山市のホームページにかなり詳細な説明が記載されておます。一時は日本の5大酒造メーカーに名を連ねるほど大きな会社だったようですが、残念ながら経営悪化により昭和39年(1964年)に破綻し翌年1965年に現メルシャンに吸収合併されたことがWikipediaからわかります。

写真に写っているお酒の銘柄を読み取りたくて目を凝らしたのですが判読できませんでした。「東菊」というのが代表的な銘柄だったようですのが他にも銘柄があった可能性がありますので、判読できる方がおられたらコメントいただきたいです。

2枚目は「33.12.7 初冬於鰭ヶ崎」と記載のあった写真です。


写真では、農家の庭先で牛が繋がれている傍らで2人の子供が日向ぼっこをしています。
女の子が履いているのは下駄でしょうか。
寝転んでいる子供が何かチラシのようなものを見ていますが、何でしょうね。。
背後には布団のような布が干してあり、柿が実っています。
屋根は茅葺屋根でしょうか。温かみのある作品です。

3枚目は撮影場所や日時がわかるメモはありませんでしたが、水田を背景に中学生くらいの男の子が漫画を読みふける構図が魅力的な写真です。


写真を拡大して目を凝らすと、少年が腰かけている石碑には「第二区利水工事竣工記念」と刻まれていることがわかります。

少年の傍ら、一番手前に置いてある漫画には「まぼろし」という文字が見え、また眼鏡をかけた人物の右半身が描かれていることがわかます。また、少年のすぐ脇に積んである最上段の漫画も「さるとび佐助」という文字が読み取れ、その下に三角形のような絵が見えます。

そんな手掛かりを元ににネット上を調べたところ、両方とも具体的なタイトルが特定でき、なおかつオークションで入手することができました。



こんな昔のものが意外と少ない手掛かりを元に手に入るんですね。驚きました。
写真の中に手を入れて引っこ抜いてきたかのような不思議な感覚を覚えます。

いずれも背表紙に「昭和34年12月号ふろく」と記載されていますので、男の子が手にしている漫画は少年画報昭和34年(1959年)12月号の本体なのかもしれません。(本体の方はネット上で見つけることができませんでした。)

ところで、2枚目と3枚目の写真にはそれぞれ「Leica DⅢ Elmar 1:3.5 50mm」、「Leica Ⅲf Elmar F3.5 50mm」と記載がありまして、上から順に下記のようなカメラのようです。

DIGIREXより引用

しっかりと記録が記載されている資料というのは、色々なことが分かりますので、本当に貴重ですよね。

同時にお借りした写真の中にまだまだ魅力的なものが残っていますので、また折を見て紹介していきたいと思います。

2022年1月10日月曜日

ウルトラマシンという懐かしいアイテム

 ウルトラマシンというおもちゃをご存知でしょうか。

1968年発売の任天堂製のおもちゃですが、きっとロングセラーなのでしょう。70年代中盤うまれの私もなじみのあるおもちゃです。


このおもちゃ、自分も買って貰って持っていたようなのですが、タイミングが幼な過ぎて適合年齢に達していなかったのでしょう。全くもってこのおもちゃで遊んだ記憶がありません。

物心ついたときには、既に壊れた残骸のような状態でおもちゃ箱に入っていたのでした。

本体の残骸は間もなく捨てられてしまったのだと思いますが、卓球のボールをフニャフニャにしたような付属のボールと華奢なバットは、本体がなくなった後も、ずっとおもちゃ箱の中に残っていたのを覚えています。

今回ヤフオクで「動作未確認品」を格安でみつけまして、もしかしたら動作するかもという淡い期待を込めて購入したのですが、例のごとく壊れていて動作しませんでした。

テスターで調べてみますと、配線は問題なさそう。。

ということはモーターが壊れているのでしょう。

やむなく、分解して修理することに。。

外枠を外すのは手でネジを回すだけで結構簡単でした。

モーターは金属のシャーシに収められていまして、蓋を開ける必要があるのですが爪でがっちり留めてありまして、開けるためには爪を起こす必要があります。

マイナスの精密ドライバーを差し込むのが良いと思います。


シャーシの中身はモーターと歯車が3つ。
単純な仕組みですね。
モーターのシャフトに直接ついている緑色の小さな歯車が見えますか?
この部品は割れていたので交換が必要でした。秋葉原の千石電商などで購入可能ですが、今回はくるくるテレビを修理した時の予備が自宅にあったのでそれを流用しました。


取り外したモーターですが、少し珍しいタイプです。
シャフトが通常と逆側に伸びているんですね。
どちらが前なのか後ろなのかわかりませんが、このモーターのシャフトが頭側から伸びているとすれば、お尻側から伸びているのが普通なんですね。


秋葉原の千石電商で探しましたところ、使えそうなのはタミヤのミニ四駆用モーターで、トルクチューン2モーターPROだけでした。

このモーターは頭側とお尻側の両方からシャフトが伸びているんですね。


頭側にシャフトが伸びているのは有難いのですが、お尻側のシャフトが出ているとシャーシ内に収まりませんので、ダイヤモンドカッターでお尻側のシャフトを切断します。


そしてリード線を半田付けします。


元々は1.5Vの単1乾電池を入れる仕様なのですが、トルクチューン2モーターProは1.5Vでは動作しませんので携帯電話の充電器から電源をとるようにします。
以前、くるくるテレビを修正した時に作成したスピードコントローラをそのまま使います。


モーターを台座にはめ込んだら、シャーシに収めます。
多分、全工程で最も難易度が高い工程かもしれません。。
モーターと3つの歯車のシャフトがぐらぐら動くのでシャーシの本体と蓋の両側にあるホールに同時に差し込むのが難しいのですが、とりあえず本体のホールの方にだけ刺さったら蓋を閉めてしまい、後からピンセットでシャフトをずらしながら蓋側のホールに差し込むのがコツです。


シャーシの蓋が閉まったら外枠を組み立てます。


外枠のネジを絞めたら完成です。


スイッチを入れてボールを投げさせてみましょう!


ビュン!結構な速度のボールを投げてきます。


うちの8歳児に見せたら痛く気に入りまして、何時間にも渡りボールを投げさせてはバットを振り回しておりました。。

一連の修理の様子を動画にしましたので是非ご覧ください!


最近、動画編集を始めましてDavinci Resolveを勉強しております。
まだまだ未熟ですが、なつかしさ溢れるレトロ関連動画を作っていきたいです。