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2017年2月19日日曜日

新松戸の変わらぬ風景①


遠い昔の1984年くらいには新松戸を出てしまったため今や新松戸に住んでいるわけでは全くないのですが、時間を見つけては散歩に行っています。

新松戸を散歩をしていると目まぐるしく変化する世の中にあっても当時とほとんど変わっていない風景を見つけることができるので心が和むんですよね。

今回は散歩中に撮ったそんな写真をアップしたいと思います。

最初の写真はサンライト6番街付近の武蔵野線のガードレール下です。
植え込みの緑がきれいですよね。
そう、ここは35年前から時が止まっているかのように変わらぬ風景です。

  

そういえば新松戸はプラタナスの並木が多いのですが、昔はよくアメリカシロヒトリという毛虫が大量発生して道端に落ちていたものです。
若い人には想像できないかもしれませんが、さながら人類vsアメリカシロヒトリの全面戦争と言っても過言ではないくらいでした。
いつのまにか人類の完全勝利で戦いが幕を降ろしていたのですね。最近では全く見かけないのではないでしょうか。

アメリカシロヒトリ(惚け爺のたわごとより引用)

下の写真は横須賀小学校の校舎です。校舎は昔とほとんど変わりません。
が、昔は校舎の向かって左側の端のあたりに大きな鳥小屋があって、インコや十姉妹やチャボ等が大量に飼われており、ピーチクパーチクと鳴き声が賑やかでした。
今は無くなってしまったのですかね。

あと、写真の左端のあたりの校庭には田んぼやアヤメ園がありました。
用水路のようなものも掘ってあり春から秋にかけてはいつも水が張ってあったのですね。
そこでは小さなゲンゴロウ、アメンボ、ミズスマシ、ヤゴなどがいたのを覚えています。
運が良いとミズカマキリもいました。
昼休みにはそれらを捕まえて遊んでいたものです。


下の写真はファミールの集会場付近です。
確か昔は集会所の一角にファミール歯科でしたっけ?歯医者さんが入っていたのですが、今はないようですね。
ここの集会所を使って保育所の子供が集まるクリスマスパーティーなどやっていました。
楽しい思い出がたくさんある施設です。

下の画像はファミールと教員住宅の間から見た夕焼けです。
この辺りはまだ高い建物がそれほどなく空が広いんですよね。
見る角度によってはかなりきれいな夕焼けを見ることができます。


教員住宅は既に住人はいないようですね。
取り壊しを待つばかりといったところでしょうか。
ここには保育所や学校の友達が何人か住んでいてよく遊びに行ったものです。
当時としても結構古い建物でしたから、築年数はゆうに50年を超えているかもしれないですね。



下の写真は市営住宅。同じく昔からある建物ですがまだバリバリ現役でございます。
今は薄緑色の外壁が昔はレトロポップなオレンジ色で、かわいい感じの外観でした。



下の写真は、武蔵野線と常磐線の接続線のガードレールです。
昔は排水が悪かったのですかね。大雨が降るとこのガードレールは完全に冠水してしまい車が通れなくなっていました。
普段使っている道が巨大な池になってしまうわけですから当時としても衝撃的な絵でした。


 今回はとりあえずこれでおしまいです。

まだとり貯めた写真があるので、懲りずにアップしたいと思います。




2017年2月8日水曜日

マックボールという懐かしいアイテム


皆さまはマックボールというものをご存知でしょうか?

80年代前半に一時期けん玉が流行ったのですが、その流れに乗ってマクドナルドが販売していたポップな感じのプラスチック製のけん玉です。


当時は大変な人気でして、店頭に行ってもいつも品切れで入手が難しいほどでした。

CMもオンエアされておりまして、10名くらいのナウなメリケンボーイズが同時にフリケンをキメるような映像だったかと記憶していますが、非常に印象深いシーンでした。

いとも簡単に大技をキメるので、マックボールには何か凄い仕掛けがあって、誰でも簡単に高難度の技が繰り出せるかのような誤った印象を与えていたと思います。

→youtubeに当時のCMが転がっていました。。
マクドナルドCM集 ① 1980年代  McDonald's(japan)CM... 投稿者

小学生低学年の自分はこのポップなけん玉が欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、そもそもマクドナルドに行く機会が少なく、行ってもなかなか店頭で見かける幸運に恵まれませんでした。

そして電話で在庫が確認できたあの日、両親に内緒で一人、松戸のマクドナルドまで買いに行ったのでした。
新松戸から松戸だと3駅しかないのですが、初めて一人で電車に乗った当時の自分としては結構な冒険だったと思います。
勝手にお金を持って電車に乗って遠征など、両親にばれたら怒られるのが分かっていますしね、罪悪感も相まってドキドキでした。

で、入手したものが冒頭の写真の品です。
入手した時は昇天しそうなくらい嬉しかったものです。

でもこれ、ことのほかボールがツルツルしていて灯台ができないですし、ケンと皿の重さのバランスが悪いんですよね。

かっこいいけど使いづらかったです。

さらには耐久性に難があり、いっぱい使っていると皿の部分が割れてくるんです。。
最初の品を入手した後も店頭で見かける度に購入していたので通算3つくらいはあったと思いますが、割れずに残っているのは1つだけ。

そんなマックボールですが、オークションで買うと5000円くらいになるようです。

ちょっとしたお宝ですよね。
とっといてよかった。。


後日、実家に帰って屋根裏部屋を探索したところ、日本けん玉協会認定1級の証書が出てきました。
1級というのは、高難度の「灯台」という技を完璧に決める必要がありますので、さすがにマックボールを入手した小学校低学年の当時ではなく、少し時代が下った小学校高学年の時のものになります。


日本けん玉協会初代会長の藤原一生さんの認定ですので、保持していることがとても誇らしい一品になります。(中野サンプラザの認定会場で著書にサインを頂いたりもしました。)

ところで、Wikipediaによりますと、藤原一生さんは児童文学の作家が本職でいらっしゃったのですね。
今日まで知りませんでした。
映画「南極物語」の元となった「タロ・ジロは生きていた」を著作されたということで、今更ながら新たな発見に驚きました。

認定証は末永く大切にしようと思います。


=====2023年12月更新=====
最初にこの記事を書いてから5年以上の歳月が経ってしまいましたが、細々と収集していたマックボールを全色コンプリートすることができました。



最初の2~3色くらいはペース良く進んだのですが、後になるほど欲しい色がオークション等に出てくる確率が低くなり、入手に多くの時間を要するようになってくるんですよね。

持ってない色だ!っと思って購入してみたら、複数色のマックボールから部品取りした「フランケン品」だったことも。
良く調べてから買わないと引っ掛かります。

この度、一番左の紫&エメラルドグリーンの品を入手して、やっとコンプリートの運びとなりました。

長い期間を要したので喜びもひとしお、ヤフオクやメルカリをモニタしなくてよくなったので、肩の荷が降りたような解放感もあります。

やはり全部並べてみると壮観ですよね。
大切に飾って保管したいと思います。

2017年1月29日日曜日

1977年頃の松戸駅と伊勢丹


若干新松戸ではないのですが1977年頃の松戸駅と伊勢丹の写真が見つかりましたので投稿しておきます。


103系の緑の電車、懐かしいですね。窓全開。
この頃は電車にエアコンなど無かったのです。

写っている親子は私と母です。 母は他界し私もすっかりおじさんですので顔出し上等です。。
写真に写っている私、服を着ていないように見えますが一応着てるんですよ~。
今でも覚えています。あのベージュ色のランニングシャツ。写真は色あせてしまったのですかね。もうちょっとモスグリーンっぽい色だったと記憶しています。


松戸の伊勢丹がオープンしたは1975年ということですからこの頃はまだ2年目なのですね。

この頃はまだ新松戸ダイエーなどありませんでしたから、何か日用品以外の買い物があると松戸の伊勢丹によく行ったものです。

後ろに見える緑の円筒形の構造物は何だったんですかね。
特徴的な物体でした。薄れゆく記憶をたどるに、あの根本付近に噴水があったかもしれません。。

当時、伊勢丹は活気があって子供をワクワクさせる雰囲気がありました。
伊勢丹の一階でペロペロキャンディーを買ってもらったり、おもちゃ屋でラジコンを買ってもらったのが良い思い出です。


2016年12月23日金曜日

牛乳キャップという懐かしいアイテム


80年代に流行った牛乳キャップ集めに最近あらためてはまっています。

当時集めていたものは友人宅に忘れたまま別の子に持っていかれて失われてしまったのですが、最近はYahoo!やメルカリで検索するとかなりの数が出品されていますのでそれらを購入することで収集可能なのですね。

値段は数百円~数万円と幅があります。

自分は貴重な銘柄をコンプリートするつもりはないのですが、当時持っていたものを完全に取り戻すことをゴールに決め頑張っております。

で、集めたもののほんの一部がこちら。↓

約3年間のコレクション歴ですが当時持っていたものは全部ではありませんが、かなり取り戻しました。
この写真に写っているものだけでけっこうな金額がかかったのですが、でもまあ呑みに行く回数を減らせば容易に捻出できてしまう額です。

でも、当時のコレクションの中には相当希少なものもあり、そんなやつらはどうしてもオークションでお目にかかれません。今持っていたとしたら数万円の値段が付くものもあったんだろうなぁと思います。

できることならあの日に戻り、友人宅から帰ろうとする子供の自分に「何か大事な物忘れてないかい?」と囁いてやりたい。。

ところで当時横須賀小学校の給食で出されていた牛乳は雪印牛乳(写真の最右列、上から4番目の青いキャップ)でした。
途中で保証牛乳(写真の右から3列目、上から2番目の赤いキャップ)に変わったのを覚えています。

保証乳業は工場が松戸にあったのですがもう潰れてしまったようですね。
最近ではキャップもプラスチック製に変わり、紙のキャップは殆ど見かけなくなりました。
残念な流れではあるもののやむないことではあるので、せめて今あるものだけでも大事に愛でたいと思います。


2016年7月9日土曜日

1976年頃の新松戸パノラマ写真


実家で見つけた新松戸の写真の中で最も希少価値のありそうなものを公開いたします。
1976年晩秋~1977年早春に撮られたと思われる新松戸のパノラマ写真です。
新松戸コーポ7Fベランダからの撮影になります。

画像クリックで拡大↓

まだこの頃は見渡す限り原っぱで、本当に何もありませんよね。
サンライト1番街ですらまだ存在しません。

この頃は、道もそこらじゅうがまだ舗装されていなくて砂利道でした。
車が通るとタイヤが砂利をはじくボコボコボコってゆう音がしますし、雨が降れば道の轍に沿って大きな水たまりが沢山出現し、長靴が必須だったんですよー。

こんな貴重な写真を撮影してくれた母に感謝です。

上の写真の時期より少し前になりますが、国土地理院に1975年1月の航空写真がありましたのでご紹介します。
下方にある赤丸が上の写真の撮影地点です。(上が南、下が北)


もう一つご紹介。
似たようなことを考える人はいるものでして、他にもパノラマ写真を撮られた方がいたようです。
以前、新松戸の地域情報を発信されていた「しんまつどドットコム」様に掲載されていた写真を頂きました。



こちらも恐らく1976年か1977年の春に新松戸コーポから撮影されたものと思われます。
北側の風景も収められています。

もう一つ、これも「しんまつどドットコム」様からの頂き物になりますが、1970年に馬橋側から新松戸方面を撮影したパノラマ写真をご紹介します。

まだ武蔵野線や武蔵野線と常磐線上野方面を結ぶ貨物船がが工事中であることが分かります。

いずれも新松戸の黎明期の様子がわかる貴重な写真ですよね。
いくら見ても見飽きません。



2016年6月20日月曜日

バンバンボールという懐かしいアイテム


最近、70年代~80年代に遊んだオモチャを再入手することが楽しくて止められません。
「昭和レトロ」をキーワードに検索して色々なものを入手しているのですが今回はバンバンボールという品を購入しましたのでご紹介。

これ、覚えてらっしゃる方いますかね?


バンバンボールが流行ったのは1978年か79年頃だったと思います。

これが全国的に流行ってテレビCMもしょっちゅう流されていました。
元々は米国製のおもちゃで、なんとプロバンバンボーラーもいたのだとか。


4歳か5歳の私はこれが欲しくて欲しくてたまらず、繰り返し母親におねだりしていました。
母が渋っていたのか品薄で入手できなかったのか今となってはよく分かりませんが、いずれにせよなかなか入手できなかったのです。。

ある日、保育園の帰りに母の自転車に乗せられて新松戸駅前のスーパーマツモトキヨシに寄りました。(今はマックスバリューエキスプレスに変わっています。)

スーパーマツモトキヨシの北側の路地には商品の搬入口があったんですよね。

ここです。↓


この路地を挟んでマツモトキヨシと反対側の土地に、トラックから降ろした商品を一時的に保管する倉庫的なトタン小屋のようなものがあったんですが、ある日保育園からの帰る途中、そのトタン小屋に入荷したてホヤホヤのバンバンボールが満載された段ボールが置いてあるのを見つけました。
現物あり、母あり、という絶好の機をとらえて頑強におねだりしたためか、ついに買ってもらうことに成功しました。

お支払いはその場でしたのかスーパーに戻ったのか覚えていませんが、陳列前ですのでいずれにせよ特別対応していただいたのだと思います。

念願のバンバンボール、ゲットしたのは良かったのですが、いかんせんまだ幼児だったので紐が長すぎてCMのようにうまくバンバンすることができなかったのと、ボールとラケットを結ぶゴム紐がすぐに切れてしまったのであまり有効に遊べませんでした。

紐が切れた後は押し入れのおもちゃ箱に使われないままずっと入っていましたが、そのうちなくなっていたので父か母に捨てられたのだと思います。

結構ずっしりと重いのが印象的なラケットでした。

今回ヤフオクで再入手しましたがやはりずっしりと重くてプラスチックっぽくない質感です。でも子供の頃感じたよりはだいぶ小さいものでした。

再入手した品も紐が切れているのでバンバンやって遊ぶことはできませんが年代物ですので大切にしたいと思います。

ちなみにバンバンボールとは関係ありませんが、下記写真のマツモトキヨシ搬入口隣の2階には、You&Iという大手チェーンのレンタルレコード屋さんが入っており絶え間なく客が出入りしておりました。

まだCDも無い時代でして。。

調べてみると友&愛というのが正式な名前とのことで、チェーンの本部は後に現在のエイベックスになったのですね。

へー、そうだったんだー。


今はさびれており人の気配がありませんが昔はこのあたりは活気があったんですよね。
寂しい限りです。。

2016年3月28日月曜日

1977年頃新松戸駅ホームより


1977年頃に新松戸駅ホームより新松戸コーポ方面を撮った写真を実家で発見しましたのでご紹介します。


駅前のマツモトキヨシ(現AEON MaxValue)の建物はこの時、建設中です。
よく見ると新松戸コーポの向かって左側には小金高校が見えています。

立て看板のサニーランドは6号沿いのスケートリンクですね。
インターネットの情報によるとサニーランドは2006年に閉鎖されたようです。割と最近まで残っていたのが驚きです。。

写真左下方には堂々と駅前に路上駐車された車列が見えます。

この下は、松戸市立図書館所蔵の1978年の写真ですが、同じ場所に路駐の車列が健在で、自転車も乱雑に駐輪されていることが分かります。
この頃は、路上駐車駐輪におおらかな時代だったのですね。
写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

駅の貨物線を挟んだ西側は、特に路駐天国だったようです。
写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

駅の北西側にはかなりの数の駐車場が整備され、空いているようにも見えますが、路駐というのはタダですから抗しがたい魅力があったのでしょうね。
写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

下記は「しんまつどドットコム」様から頂きました、1977年頃とみられる新松戸駅周辺の写真です。
1978年2月竣工の南パークハウスと3月竣工のサンライトパストラル壱番街が建設中です。
写真提供:「しんまつどドットコム」より

1977年の新松戸駅南口広場のロータリーです。
交通はまばらですが、ガードレール下に駐輪された自転車はこの写真でもよく見えます。

写真提供:「しんまつどドットコム」より

同時期に撮影された写真を並べてみると面白いですよね。