ここ数か月のこと仕事が多忙で全く身動きが取れず調査などが滞っておりましたが、やっと落ち着きまして時間をとることができるようになりました。。
新松戸の昔のことは老舗様を訪問してお話を伺うのが一番。
今回も飛び込みでお話を伺いに行ったところ予期せず歴史的価値の高い写真をお借りすることが出来ました。
私の関心は主に70's~80'sの新松戸なのですが今回お借りしたこの写真はそれよりも断トツに古く、1950'sの横須賀地区の風景だそうです。
[写真1]
白黒写真ですし一部不鮮明ですので何が写っているのかよくわからないかもしれませんが、よく見ると写真右端にかすかに流山線の線路が見えているのがわかります。
馬橋⇔流山間に流鉄の前身「流山軽便鉄道」が開通したのは大正5年(1916年)とのことで、この頃は既に人の移動や物流を支えていました。
写真右の方に見える白い小屋のような建物は揚水場とのことで、そのすぐ手前を流れる新坂川から農業用水をくみ上げる施設です。
ちなみに新坂川は、流鉄よりも後のこと昭和8年~12年(1933年~1936年)に掘られた人工の川なのだそうです。 調べるまで全く知りませんでした。驚きですね。
写真中央付近に少しぼんやりと映っている白っぽい構造物は新坂川にかかる橋です。
木に隠れて見えませんが橋の左側の方に旧小金城趾駅があったようです。
写真左上の方は霞んでいてよく見えませんが辛うじて田んぼの畦道が確認できます。そのあたりが現小金高校付近でしょうか。
上の写真の現在の様子は以下のような感じです。
これまた木が邪魔していて見えませんが中央付近に新坂川の橋と流山線の踏切があります。(文末に地図を付けましたので後ほどご確認ください。)
これは平戸弁天付近から北方向を撮った写真になります。
Wikipediaによると、モハ105は1954年~1979年に使われていたようです。
現時点で似たようなアングルから写真をとると以下のような感じです。
[写真3]
かつて平戸弁天よりも南側にあった旧小金城址駅です。
1953年~1967年にこの位置にありました。
奥の建物には駅員さんが住み込んでいらっしゃったようです。
高倉健さん扮する「鉄道員(ぽっぽや)」という映画が思い出されますが、昔は住み込みが基本だったのですかね。
こちらも今時点では下のような感じ。こんなところに駅があったんだ―、というのも驚きですが線路左側の畑や雑木林が70年もの歳月を経て健在なのには驚かされます。
[写真4]
これは県道280号(白井流山線)とのことです。
左の石垣のように見えるのは流山産の瓶を積んで築いてあるのだそうです。
当時、東邦酒類という大手の酒造会社の工場が流山にあったそうですのでもしかしたらこの瓶もその東邦酒類製かもしれませんね。東邦酒類はその後、現メルシャンに買収されたとのこと。
現在の様子は概ね以下のような感じです。
[写真5]
こちらも県道280号(白井流山線)とのことで、写真4と逆方向を撮った写真となります。
道の左側には肥溜めがあって臭かったとのこと。
今のビューは以下のような感じです。
どの写真も素晴らしいですよねー。
現在の地図で各写真の位置をマッピングしてみました。
大変貴重なお写真と資料をお貸しくださいました老舗様に厚くお礼申し上げます。
こちらも今時点では下のような感じ。こんなところに駅があったんだ―、というのも驚きですが線路左側の畑や雑木林が70年もの歳月を経て健在なのには驚かされます。
[写真4]
これは県道280号(白井流山線)とのことです。
左の石垣のように見えるのは流山産の瓶を積んで築いてあるのだそうです。
当時、東邦酒類という大手の酒造会社の工場が流山にあったそうですのでもしかしたらこの瓶もその東邦酒類製かもしれませんね。東邦酒類はその後、現メルシャンに買収されたとのこと。
現在の様子は概ね以下のような感じです。
[写真5]
こちらも県道280号(白井流山線)とのことで、写真4と逆方向を撮った写真となります。
道の左側には肥溜めがあって臭かったとのこと。
今のビューは以下のような感じです。
どの写真も素晴らしいですよねー。
現在の地図で各写真の位置をマッピングしてみました。
大変貴重なお写真と資料をお貸しくださいました老舗様に厚くお礼申し上げます。
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