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2021年2月23日火曜日

切手という懐かしいアイテム

私が小学校に上がった1980年代初頭は今ほど多種多様な趣味や娯楽などはなく、1億の日本国民がみんな同じ趣味を一斉に楽しんでいたような時代でした。

切手収集というのはその最たるものでして、大人も子供もかなりの人がこぞって切手をあつめておりました。

今ではヤフオクなどで探せば数百円で手に入る切手趣味週間シリーズの記念切手ですが、当時はコレクター垂涎の的でして「月と雁」や「見返り美人」などは1枚で2万円~3万円の値段がついていたのを覚えています。

左から「月と雁」、「見返り美人」、「ビードロを吹く娘」、「写楽の市川海老蔵」

お金のない小学校低学年生には全く手の届かない存在で、切手カタログを見てはため息をつくばかり。。友達の親に「ビードロを吹く娘」を見せてもらって感嘆の声を上げたりしていました。

そんな切手ですが、今では当時からすれば信じられないくらい安値になってしまい、いくら買ってもほとんど懐が痛まないチープな趣味に変貌しました。。

1980年代後半のバブル期以降、もっと面白い趣味や娯楽が次々と登場したことで切手のコレクション人口が急激に減ったのが大きな要因なのでしょうが、宅配便や電子メールなどの普及により切手自体が身近なものではなくなってきたことも要因かもしれません。

1980年代初頭の当時、小学校低学年だった私がどのように切手を手に入れていたかといえば、基本的には郵便局に行って記念切手の発売日を調べ、親に頼んでおくんです。

そうすると親が通勤前に朝一で新松戸郵便局に行ってくれまして、購入しておいてくれました。

というのも、人気のある記念切手の発売日には郵便局には早朝から行列ができ、郵便局のオープンまもなく売り切れてしまっていたんですね。

当時は記念切手を持っておけば将来すごく値上がりして高値で売れると考えられる風潮がありましたので、財テク兼ねてシート買いする人も多かったのだと思います。

そんなわけで小学生が放課後に郵便局に行っても記念切手の入手は不可能だったのです。

Googleストリートビューから引用:2011年4月頃の新松戸郵便局

その時入手した記念切手は実家に行けばまだ残っていると思いますが、探しに行くのも面倒なので改めて近くの古銭屋さんで購入してしまいました。

どれも懐かしいですが、やはり1982年の東北新幹線開通記念、上越新幹線開通記念を入手した時が嬉しかったのを覚えています。

下の写真は上野動物園開園100周年記念。

今となっては、もうすぐ140年にんるんですよね。

って、あれから40年!?

時が経つのは早いものです。。


下の写真は竜切手モチーフの東京国際切手展記念。
これも当時入手した時に嬉しかったのを覚えています。

あと、地味ではありますが普通切手も侮れません。。

普通切手はありふれた存在ですので普段あまり気にせず使っていますが、気づかないうちに図案が変わっていくのですよね。

40年の歳月を経て普通切手も幾度となく図案や額面が変わったのでしょうが、その変遷は全く覚えていません。

切手に興味があった80年代当時の図案だけが記憶に残っていて、見ると強烈な懐かしさがこみ上げてくるのです。

中途半端な1ケタ台の額面の切手がありますが、当時はまだ消費税の導入前ですし最安の定形郵便は60円でしたので、何に使っていたのかよく分かりません。

ところで、未使用の切手は郵便局で購入するわけですが、子供達にはもう一つ切手の入手方法がありました。

駄菓子屋さんに行くと下の写真のような袋くじがありまして、20円ほど支払うと袋くじを1回引くことができるんですね。

引いた紙袋の中に切手が入っているのですが、開けてみるまで中身が見えないのでどんな切手が入っているか分からないようになっています。

ほとんどの場合は価値のないありふれた使用済み切手が出てきてガッカリすることとなりますが、ごく稀に使用済みではあるものの「写楽」などが出ることがあるためワクワク感がたまらず、かなりのお小遣いを使ったものです。


切手の袋くじは当時新松戸4丁目にあった「大倉屋商店」という酒屋さんで主に引いておりました。

「大倉屋商店」は酒屋さんなのですが駄菓子類も充実しておりまして、切手の袋くじ以外にもいろいろなお菓子を購入させていただいておりました。

残念ながら2年ほど前に惜しまれつつ閉店してしまったようです。

幼少の時通った思い出深いお店がなくなるというのは寂しいものですよね。

Googleストリートビューより引用:2011年4月頃の大倉屋酒店

昔集めた切手をまだお持ちの方は多いんじゃないですかね?

これを機に収集再開してみてはいかがでしょうか。。



2020年11月10日火曜日

1976年、1985年の新松戸の風景が見られる凄い動画

 先日、Youtubeですごい動画を2本見つけましたのでご紹介いたします。

それぞれ1976年、1985年のいずれも流山電鉄の走行シーンなどを主眼に撮影されたものなのですが、その背後に映り込んだ背景やついでに映されたと思しき何気ない風景が素晴らしいのです。























特に1976年(昭和51年)の映像はクリアかつ編集も完璧!重ね重ね素晴らしい映像です。
自分が特に感動したのは下記のシーンです。


ちょうどこの年に2歳の自分が住むことになる新松戸コーポがこのときはまだ建設中で、作業用の足場がとれていないんです。

そして見覚えのあるこの石碑。いつのまに無くなったものやら、自分が小学校に上がるくらいまではあったと思うのですが、確かにこんなものがそびえたっていました。
「小金土地改良~」下のほうがススキに隠れて読めません。。
→どなたか解読可能な方、コメントください!

もう一つ深く感動したのが、下の木橋が映ったシーン。
これ、新坂川に架かっていたのですが、再び目の当たりにできるとは思ってもいませんでした。


自分がこの木橋を渡ったのはこの映像の数年後、橋はこれに輪をかけてボロくなっており今にも落ちそうな感じでした。材木ももっと黒っぽく変色していたと思います。(→注)

まだ幼く体が小さかったためでしょうか、おっかなびっくり渡ると新坂川の川面が遥か下方に見えてとても怖かったものですが、実際のところ高さはこんなもんだったのですね。。

80年代初頭は全国的に環境汚染が深刻な時期でしたから新坂川も物凄く汚かったんです。
なにやら得体のしれない緑黒いヘドロのような浮遊物がいつもゆったりと川面を流れており水も緑グレーに濁って川底が見えませんでした。

それも恐怖感を増幅させたのでしょうね。

この橋は生活で使っていた方々もおられたのでしょうが、子供達にとっては単なる度胸試し専用でしかございません。
中には渡りながら飛び跳ねたりワザと揺らしたりなどハードなプレイをする子も。

自分は橋を渡った武勇伝を両親に語り、二度とそんな危ないことをするなと思いっきり叱責されたのでした。

宅地化で子供がどんどん増えていた新松戸にあってはさすがにこんな危険なものが長く放置されるはずもなく、そのうち撤去されてしまったのでした。

位置関係としては下記の地図の通りとなります。

お次は1985年の映像からのショットになります。



中央付近に映る流山線の車両に目が行ってしまいがちですが、自分が注目したのは画面右端の方に見える黄色と赤のアーケードです。

看板に「パン」の文字がかろうじて読めますが、こちらパン屋の「ハンス」です。

店の真ん前に駐車車両があるのは、このころはもうハンスが小金中学校の前に移転してしまっていたからと思いますが、80年代初頭にはハンスは2店舗を構えておりこちらの店が本店でした。

おやつにちょうど良い大きさのプチパン、ふわふわのイギリスパンなど焼きたてのパンがとてもおいしく、当時絶大な人気を誇ったドラえもんなどのキャラパンも売っていて楽しいお店でした。ちなみにドラえもんパンの鼻は赤く着色されたチェリーでできていました。

奥の緑のアーケードは私の記憶が正しければ「ゴルフショップ大木」、流山線車両左側の赤いアーケードは「スナックしろあと」です。

これまでYoutubeはノーマークでしたので、こんな素晴らしい映像があることに驚くとともに感動いたしました。
動画をアップしてくださった方に心からお礼申し上げたいです。

(注)
後日、松戸市立図書館の本館で「写真アルバム松戸市の昭和」という資料を見ていたところ、昭和63年(1988年)の木橋の写真を見つけました。


昭和51年シネスコ版の映像よりも新坂川の護岸が高くなっており、木橋も高い位置に架かっているように見えます。
こちらの光景の方が自分の記憶と符合しますので、恐らく昭和51年から数年後に浚渫工事が行われその時に木橋も架け替えられたのでしょうね。。

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この記事を書いてからもう4年程経ってしまいましたが、先日新松戸を散歩した時に意外なものを発見しました。
それが、こちら。


昭和51年シネスコ版に登場した石碑です!

いつの間にやら鐘の下公園の敷地内に移設されていたんですね。
すみっこの方ですので気づきませんでした。
あるいは、子供の頃は移設されていたことを知っていたけど、長い年月の中で忘れていただけかもしれないという気もしてきました。。
こちら裏面。

 びっしり文字が刻まれていますが、不鮮明なこともありまだ解読していません。
写真はアップで撮ってきましたのでそのうち解読してみたいです。

2020年10月2日金曜日

仮面ライダー(スカイライダー)のベルトという懐かしいアイテム

今回は仮面ライダー(スカイライダー)のベルトをご紹介します。

Wikipediaによりますと、仮面ライダーシリーズの第6作になるスカイライダーが放映されていたのは1979年10月~1980年10月ということで、その頃自分は5歳~6歳でした。

カブトムシ型の仮面ライダーなども知っていましたので、その前のシリーズも視ていた可能性はあるのですが、視たことをはっきりと記憶しているのはこのスカイライダーと次作のスーパー1になります。

スカイライダーの放映は毎週金曜日の19時~19時半でして、当時は少数派の共働き家庭だった自分は保育所から帰宅後、母が食事を準備している間にテレビを視てその後に晩御飯を頂く生活パターンでした。

母が残業などで帰宅が遅くなる時は保育所から同級生のけーちゃんの家に一緒に連れて帰ってもらい、夕食を頂いたりお風呂に入れてもらったりしていたのですが、このスカイライダーは自宅よりもけーちゃんの家で視ていた光景の方が思い出されます。

例によってストーリーなどはよく覚えていないのですが、はっきり記憶に残っているのはオープニングテーマでして、皆様良くご存知の「燃えろ!仮面ライダー」になります。

勇ましくてキャッチ―なメロディーが秀逸で、主人公の筑波洋(ひろし)がハンググライダーに乗る映像やスカイライダーがビルの上空を飛ぶシーンが脳裏に焼き付いています。

幼心にも雄大かつ優雅な印象を受ける映像でした。

Amazonプライムビデオより引用
Amazonプライムビデオより引用

あと、スポンサーであるスズキ自動車の「S」を模ったロゴもスカイライダーと完全にセットになって脳裏に刻み込まれております。

Amazonプライムビデオより引用

仮面ライダーが乗っているバイクってスズキ自動車製なんですね!
オープニングの最初の方にかなりバッチリでてきます。

Amazonプライムビデオより引用

でも、これは大人じゃないと気付かないかな?
子供にはアルファベットが読めませんからねー。
そもそも子供ってバイク乗らないような気もしますが、スズキ自動車はスポンサーとしてどんな層に訴求したかったんでしょうかね?

大人になってから見返すと、こんな本編と関係のないところが気になってしまうんですね。
すっかり薄汚れて野暮な人間になってしまった自分がいます。。

当時仮面ライダーはかなりの人気で数々の関連グッズが販売されておりましたが、その中でも最も魅力的だったのはライダーベルトです。
自分もおねだり攻勢をかけましたが、我が家ではこの手のおもちゃは買って貰える見込みがまったくなく、欲しい気持ちは燃え盛った状態のまま無理やり封印せざるを得ませんでした。
そのせいで、すっかりオッサンになった今でも卒業できないんです。。

ここ数年オークションなどをモニタしていたのですが、私と同じようなシニアなお友達が多いためか放映から40年を経た今でも人気があって結構な高値で取引されております。

お遊びとして常識的な範囲のお値段で手が届かず待ちぼうけになっておりましたが、今年になってチャンスが到来。首尾よく入手しました。


スイッチを入れると中の基盤が光りながら回るんですね。
けっこう、ガーガーと凄い音がします。

ところで、スカイライダーは期中にキャラクターデザインが変わっているんですね。
胸板が茶色の少し地味な方が前半で、胸板がオレンジ色の派手な方が後半です。
ライダーベルトは同じものをつけているようですね。


Pinterestより引用

劇中では敵が強過ぎて地味な方のスカイライダーだけでは手に負えなくなり、初代から7代目の仮面ライダーが助っ人で登場するんですね。そして、今の感覚でいうと集団リンチに近いようなやり方でスカイライダーをシゴいて鍛えるんです。

鍛えあがって強くなったスカイライダーがルックスも派手になって再登場するという筋書き。

ビジュアルとして自分の記憶に残っているのは派手な方のオレンジ色の胸板なのですが、「燃えろ!仮面ライダー」は前半のOPですので地味な姿のライダーが登場します。
40年ぶりに映像を観た時、最初はそのあたり違和感があったのですが、当時理解できなかった設定を改めて知ってみると、そういうことだったのかと納得です。

今回ライダーベルトに加えて「燃えろ!仮面ライダー」のEPも入手しましたので是非お聞きください。



2020年5月17日日曜日

ガッチャスパルタンの超合金という懐かしいアイテム


科学忍者隊ガッチャマンといえば自分の世代で知らない人がいないくらいのスーパーヒーローですが、放映時に幼かった自分は「チームの仲間が力を合わせて悪い敵をやっつける」くらいの超ざっくりとしたストーリー展開しか覚えていません。

長い放映期間中に主題歌や登場するメカなどが変わったのは認識していたのですが、改めてWikipediaで調べますとガッチャマンには3シリーズあったことがわかりました。

科学忍者隊ガッチャマン   1972年10月~1974年9月
科学忍者隊ガッチャマンII   1978年10月~1979年9月
科学忍者隊ガッチャマンF   1979年10月~1980年8月

初代のガッチャマン放送時には私は生まれていなかったのですが「誰だ 誰だ 誰だ~」というオープニングの歌をきわめてはっきり覚えており、保育園の友達と替え歌にして歌っていたことすら覚えているのが不思議です。

ネット上に情報はなかったのですが、初代ガッチャマン終了からガッチャマンⅡ開始まで4年間も空いていますので、もしかしたらガッチャマンⅡの直前くらいに初代ガッチャマンの再放送があったのかもしれません。



一連のガッチャマンシリーズが放映されてたのは日曜の18:00~18:30でして、私を含め友人たちはこのアニメが始まるのに合わせて遊びを切り上げて帰宅したものです。

ガッチャマンシリーズを観終わると晩御飯を頂き、19:30から世界名作劇場シリーズ(赤毛のアン、トムソーヤの冒険など)を見て週末を締めくくるのがお決まりのパターンでした。

今と変わらず19:00からさざえさんが放映されていたのですが、ちょうど晩御飯と重なるので最初だけとか最後だけとか中途半端にしか見れないことが多かったように思います。

さて、前置きが長くなりましたが今回の主題はガッチャマンFに登場するGメカのガッチャスパルタンです。
当時5歳~6歳だった自分は主題歌やGメカの合体シーンなどしか覚えていないのですが、このメカは本当にかっこいいと思っていました。

今だに人気があるのか、当時の超合金のおもちゃがオークションに出てくると結構な高値が付くんですね。
こんな高値なおもちゃに手を出すのは転売ヤーか自分を含めてかなり思い入れのあるコアな人物だけだと思います。
数年モニタしていたのですがお安く手に入れる方法がなさそうでしたので、この度思い切って真向勝負を挑み、購入してしまいました。

劇中ではガッチャマン1号~5号が出動する時はそれぞれのGメカに乗って基地から飛び立ちます。
そう、こんな感じに分離した状態で飛んでいくのです。


で、敵と戦うときは合体して下のような形になるんです。
三角形のフォルムが最高にカッコいい!



5機のカラフルな子機が合体して最終形になるという発想が素晴らしいですよね。

当時、友達の家にコレがありまして、凄くカッコいいなーと垂涎の思いで眺めていたのですが、遂に自らの手中には収めることができず、40年を経てからようやくの満願成就となりました。

ところで、時代が少し下りますが1986年に発売されたファミコンソフトで「テラクレスタ」というシューティングゲームがありまして、メカの設定やデザイン、音楽など全て素晴らしく、当時はみんな結構ハマっておりました。

引用:EGG

スタート時に操作する機体は1号機でして、敵を倒しながら前進していくと2号機~5号機が順次出現、合体してパワーアップして行くんです。
無傷で1号機~5号機が合体できますと一定時間「火の鳥」になって無敵状態になります。

引用:EGG

ゲームをやっている当時から、なんかガッチャマンのメカと発想が被るなぁと思っていたのですが、WikiPediaによるとガッチャマンのメカをオマージュして機体のデザインをしたとの記載がありました。
やはりか。
火の鳥になるのは初代ガッチャマン、5機が合体するというのはガッチャマンFをヒントにしたのかもしれませんね。

ところで、ヤフオクなどを探したところ、ありました。テラクレスタのおもちゃ。
超合金ではなくプラスチックでできているためかガッチャスパルタンほど値の張るものではなかったので買っちゃいました。


かっこええ。。
分離してフォーメーション攻撃の体制をとることもできます。


ガッチャスパルタンといいテラクレスタといい、5機が合体してパワーアップするという考え方が凄くいいんです。

このパターンは普遍的なカッコよさを有していると言っても過言ではないでしょう。

今回入手したおもちゃは末永く大事に飾っておきたいと思います。




2020年4月12日日曜日

カブトムシくんチョコのオマケという懐かしいアイテム


今でこそ外国産カブトムシは巷にあふれており、シーズン時期にはホームセンターなどでも売られていることがありますが、外国産カブトムシの輸入が認められたのは1999年のこと。

私が幼少期を過ごした1970~80年代には外国産カブトムシは図鑑の写真や博物館の標本でだけお目にかかれる憧れの存在だったのです。

1981年といえば私が小学校1年生のころ、「カブトムシくんチョコ」なるお菓子が明治製菓より販売されていました。
お菓子自体は今でいうと森永チョコボールのようなものだったと記憶していますが、オマケとしてカブトムシのおもちゃが付属していてそちらの方をめあてにいっぱい購入したのでした。

この度そんなオマケのおもちゃをヤフオクで入手することができましたのでご紹介します。
写真上段の4体のフィギュアがカブトムシくんチョコのおまけです。
黒いプラスチック製でして、上から押して暫く待つとパチっと跳ねるしろものです。


これ、お菓子を開封してみるまでどの種類のカブトムシが入っているか分からないので結構被るんですが、ガチャガチャのようなドキドキ感もあってはまってしまったのですね。
お小遣いを握りしめて新松戸コーポ下にあった中山酒店に通っていました。

写真下段の3体のクワガタムシは、クワガタくんスナックという別のお菓子のおまけなのですが、こちらの方は中山酒店で売っておらず、田舎の従兄弟の家に遊びにいったときによく購入していました。

どちらもマイブームに過ぎなかったのか或いは広く流行っていたかは分からないのですが、40年近くを経てからヤフオクに出品があるくらいだからそれなりに売れていたのでしょう。

パッケージデザインを思い出したくてネットを検索したところ、不鮮明ながら画像を見つけることが出来ました。確かにこんな赤い箱でした!(引用元


クワガタくんスナックの方も見つけました。(引用元


話は変わりますが、昆虫関連でもう一つ懐かしアイテムをヤフオクで見つけたので、これまた購入しました。
「昆虫採集セット」なるグッズでして、夏休みの宿題などで昆虫標本を作るために使う道具です。
当時はそこらの文房具店で売っていまして、きっとお高いものではなかったのでしょう、私も買って貰ったのでした。


注射+へら+虫眼鏡+防腐剤(緑)+殺虫剤(赤)のセットです。
上蓋の説明書によると防腐剤と殺虫剤は練習用とのことで99%の水と1%のエタノールが混ぜてあるだけのようです。
な~んだ、知ってみると大したものではないですね。
当時は赤と緑の液体がそんなトータリーセーフなリキッドなどとは知りませんでしたので、ものすごい猛毒が入っているような恐怖感があり、おっかなびっくり扱った記憶があります。

ある時大切に飼っていた大振りなミヤマクワガタが☆になりまして、是非とも標本にしてみたかったので緑の液体を注射でぶすっとやってみたんですね。

これで夏休みの自由研究が完了と安心していたところ、みごとに腐りまして、トンデモない悪臭を放つようになってしまったのです。

さすがにそんな臭いものを学校に持って行ったりはしませんでしたが、愛着のあるミヤマでしたのでその状況に至っても捨てられずベランダに放置、首と胴体がグッバイした状態で長いこところがっていました。

で、夏休みの自由研究の方はといえば最終日に父が何か別のものを作ってくれ、申し訳程度に手伝って終わらせることに。。

そんなほろ苦い思い出のある「昆虫採集セット」ですが、注射針は本物ですので今の基準で言えばかなりアブナイおもちゃなんですよね。
今年うちの6歳児が小学校に上がりますが、とてもこんなおもちゃは持たせられません。。
つくづく昔はリスクに寛容でおおらかな時代だったなぁと思います。

さて、外国産カブトムシが憧れの的だったというのは冒頭に記しましたが、当時手にできなかったものは40年近くを経た今でもその気持ちが成仏できないのであります。

で、買っちゃったのがこちら。
じゃじゃーん、本物のヘラクレスオオカブトです。


ロートル個体ということで安く買えました。
それにしてもデカい。約14cmということで、国産カブトムシとくらべたら倍くらいの長さです。
オリーブ色の背中が幼少の頃のイメージ通りで、とても美しくて気に入りました。

大切に飼って☆になったら標本にするのもいいかもしれないですね。
緑の液体をぶすっとやるようなミスはもう致しません。。


後日、実家に帰った時に屋根裏部屋を探したところ、当時見ていた昆虫図鑑が出てきました。
学研だったのですね、昭和55年(1980年)4月初版とのことですが、手元にあるのは昭和56年(1981年)1月の第4刷になります。


このコミカルなてんぱったサルの顔とヘラクレスオオカブトのオリーブ色の背中が印象的で忘れられません。。

本物のヘラクレスオオカブトを入手してから分かったのですが、ヘラクレスオオカブトの角は挟む力が非常に強く、しかも挟む動作が超速いんです。
ジャキーン!という感じ、といえば伝わりますかね?

ある日、お世話をしている時に私もうっかり手をジャキーン!とやられてしまいまして、きっとその瞬間、私の顔もこのサルのようになっていたと思います。。

子供の頃の私は、せっかくカッコいいカブトムシのイラストに、変なカッコ悪いサルが描き込まれていることを残念に思っていたのですが、40年近く後に本物のヘラクレスオオカブトを手にしたら、サルの重要性が分かって感動しました。

当時、上野の国立科学博物館で標本を見るまでは、この図鑑にあるイラストが外国産カブトムシに関する情報の全てでしたので、本当にそんなに大きくて美しいものが存在するのか半信半疑。

簡単に本物が手に入ってしまう現代の子供達を羨ましく思うのと同時に、半信半疑の状態で繰り返し絵を見て想像を膨らました昔の自分も、ある意味幸せな時間を過ごしたなと思います。
まあ、そのせいで今もカブトムシから卒業できないのは確かです。。

2020年2月11日火曜日

1950's松戸市横須賀の写真


ここ数か月のこと仕事が多忙で全く身動きが取れず調査などが滞っておりましたが、やっと落ち着きまして時間をとることができるようになりました。。

新松戸の昔のことは老舗様を訪問してお話を伺うのが一番。
今回も飛び込みでお話を伺いに行ったところ予期せず歴史的価値の高い写真をお借りすることが出来ました。

私の関心は主に70's~80'sの新松戸なのですが今回お借りしたこの写真はそれよりも断トツに古く、1950'sの横須賀地区の風景だそうです。

[写真1]

白黒写真ですし一部不鮮明ですので何が写っているのかよくわからないかもしれませんが、よく見ると写真右端にかすかに流山線の線路が見えているのがわかります。

馬橋⇔流山間に流鉄の前身「流山軽便鉄道」が開通したのは大正5年(1916年)とのことで、この頃は既に人の移動や物流を支えていました。

写真右の方に見える白い小屋のような建物は揚水場とのことで、そのすぐ手前を流れる新坂川から農業用水をくみ上げる施設です。

 ちなみに新坂川は、流鉄よりも後のこと昭和8年~12年(1933年~1936年)に掘られた人工の川なのだそうです。 調べるまで全く知りませんでした。驚きですね。

写真中央付近に少しぼんやりと映っている白っぽい構造物は新坂川にかかる橋です。
木に隠れて見えませんが橋の左側の方に旧小金城趾駅があったようです。

写真左上の方は霞んでいてよく見えませんが辛うじて田んぼの畦道が確認できます。そのあたりが現小金高校付近でしょうか。

 上の写真の現在の様子は以下のような感じです。
これまた木が邪魔していて見えませんが中央付近に新坂川の橋と流山線の踏切があります。(文末に地図を付けましたので後ほどご確認ください。)


他にも写真集のような冊子お借りすることができましたのでその抜粋を合わせてご紹介します。1960年代とのことです。

[写真2]
これは平戸弁天付近から北方向を撮った写真になります。
Wikipediaによると、モハ105は1954年~1979年に使われていたようです。

写真1の右の方に見えた白い小屋(揚水場)がはっきりと映っています。
現時点で似たようなアングルから写真をとると以下のような感じです。



[写真3]
かつて平戸弁天よりも南側にあった旧小金城址駅です。
1953年~1967年にこの位置にありました。
奥の建物には駅員さんが住み込んでいらっしゃったようです。
高倉健さん扮する「鉄道員(ぽっぽや)」という映画が思い出されますが、昔は住み込みが基本だったのですかね。


こちらも今時点では下のような感じ。こんなところに駅があったんだ―、というのも驚きですが線路左側の畑や雑木林が70年もの歳月を経て健在なのには驚かされます。



[写真4]
これは県道280号(白井流山線)とのことです。
左の石垣のように見えるのは流山産の瓶を積んで築いてあるのだそうです。
当時、東邦酒類という大手の酒造会社の工場が流山にあったそうですのでもしかしたらこの瓶もその東邦酒類製かもしれませんね。東邦酒類はその後、現メルシャンに買収されたとのこと。


現在の様子は概ね以下のような感じです。




[写真5]
こちらも県道280号(白井流山線)とのことで、写真4と逆方向を撮った写真となります。
道の左側には肥溜めがあって臭かったとのこと。



今のビューは以下のような感じです。



どの写真も素晴らしいですよねー。
現在の地図で各写真の位置をマッピングしてみました。



大変貴重なお写真と資料をお貸しくださいました老舗様に厚くお礼申し上げます。





2020年1月13日月曜日

宇宙大帝ゴッドシグマの超合金という懐かしいアイテム

いつものことながらWikipediaによりますと、宇宙大帝ゴッドシグマというロボットアニメが放映されていたのは1980年~1981年とのことで、自分は小学校1年生でした。

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宇宙大帝ゴッドシグマ』(うちゅうたいていゴッドシグマ)は、1980年(昭和55年)3月19日から1981年(昭和56年)2月25日まで、東京12チャンネル水曜日19:30-20:00枠に全50話が放送されたテレビアニメ。
===

美術や音楽などがずいぶんとレトロなもので意外なのですが機動戦士ガンダムの放映よりも1年だけ後なんですね。
当時ガンダムは設定が新しすぎて人々に受け入れられなかったとのことですので、例に漏れずこの時点で自分が熱狂したのも、こちら宇宙大帝ゴッドシグマの方なんです。

ストーリーは全く覚えていないのですが合体シーンとオープニング、エンディングは記憶に刻み込まれています。
あとΣのロゴも見覚えがあるような。。

そんな一度聴いたら忘れないキャッチ―な歌詞とメロディーのオープニングとエンディングですがyoutubeで見つけることができました。


エンディングも特徴的で、水、金、地、火、木、土、天、海、冥、という太陽系の惑星にちなんだフレーズが太陽系の絵をバックに繰り返されます。



当時はボイジャー1号が木星や土星に接近して写真を地球に送ってきたのと同時期ですから時流に乗っていたのでしょうね。

自分は今でも天体望遠鏡を持っていますし高校生の頃には自作のプラネタリウムを作ったりするくらい結構な天文好きなのですが、そのきっかけはきっとこの主題歌だと思います。
「すいきんちかもくどってんかいめい」って何?と母に質問した記憶があるのですが、その直後に宇宙の図鑑を買い与えられました。
欲しいとは言ってなかったんですけどね、こういうものは頼まなくても買ってくれました。

そう、これこれ。ヤフオクにありました。小学館の学習百科事典「宇宙」です。
ヤフオク!より引用

この図鑑は初版が1975年ということで、ボイジャーが木星に到達する数年前の編なのですね。
土星や木星の綺麗な写真が無い時代ですので、惑星の風景は宇宙美術分野の第一人者として知られる岩崎一彰さんによる想像画でした。
こんな絵を描かれる方です。(明石市立天文科学館より引用)


脱線しました。。
そんな宇宙感に溢れたゴッドシグマですが、このたび超合金のおもちゃをヤフオクにて入手ましたのでご紹介します。
三体のロボットがいますが左からそれぞれ海鳴王、空雷王、陸震王という名前だそうです。


こいつらを合体させると以下のようになります。


海鳴王と陸震王がブーツのようになって空雷王の足にハマるんですね。
動画も撮りましたので、是非ご覧ください。(後で気づいたのですが、右足と左足が逆でした。。)




この合体シーン、冒頭にも書きましたが強く心に刻み込まれており忘れられません。
幼心によっぽど魅力的に感じたからなのでしょう。

なんせ40年近くも昔のこと、あの頃の気持ちを正確に表現するのは難しいのですが、「あんなにも強くなれる長靴を自分も履いてみたい」というのが魅力の根源だった気がします。

もし、ただ履くだけで仕事を片付けてくれる長靴とか、ただ履くだけでお金を稼いでくれる長靴があったら両足にズッポりと履いてみたいものですが、オジサンになった自分は発想が汚れてしまったのでしょうか。。


後日、実家に帰った時に屋根裏部屋を探したところ、当時見ていた図鑑が見つかりました。
昭和55年(1980年)3月の第16刷とのことですので、ちょうどゴッドシグマが放映されていた時期にあたります。

怪物が片目を開いているかのような木星の想像画、大きな腕を伸ばしているかのような太陽の想像画がとてもダイナミックで、ある意味実物の写真で埋め尽くされた今時の図鑑よりも子供たちに夢を与える力強さがあるかもしれませんね。。