かつて小金城趾駅から新坂川沿いに西に200メートルほど歩いた辺りに岩本医院という産婦人科がありました。
1970年代には新松戸中央病院もありませんでしたし、出産する多くのママはこの病院のお世話になっていたものと推察されます。
うちも例外ではなく自分の弟君はこの病院で生まれたのでした。
1978年の梅雨の時期のこと、まだ舗装されておらずいたる所に水たまりが出来た凸凹の砂利道を長靴で歩いて入院中の母を訪ねました。
きっと父がカメラを持ち込んだのでしょう。その時に岩本医院2階の病室の窓から新松戸コーポ方面を撮影した写真が以下です。
当時まだ4歳になっていなかった自分は「岩本医院」という名前も正確な場所も憶えておらず、母が入院していたのは「井口医院」の移転前の場所だと長らく思い込んでいました。
ところが、どうもこの写真に見える風景とGoogleストリートビューで見た旧井口医院からの風景で建物群のアングルが整合せず、不思議に思っていたのでした。
国立国会図書館に赴き70年代当時のゼンリン地図を閲覧したところ、ちょうどこの写真のアングルが撮影できる位置にかつて「岩本医院」という産婦人科があったことが分かりました。(現在は宅地になっており、病院は跡形もありません。)
母は既に他界しておりますので父に確認したところ、確かにその名前だったとのことで、やっとのことで撮影場所の確定に至りました。
引用元:国土地理院
上側が南、下側が北となっておりまして、冒頭の写真は赤い→のアングルで撮影されています。
「岩本医院」の内部については、断片的な記憶しかございませんが、重いガラスの扉を開いて中に入ると薬なのか消毒なのかミルクなのか或いはそれらが混ざったものなのか分かりませんが、少し甘い人工的な香りがしたのを覚えています。
扉を入って正面左側に診察室、階段を上って2階が入院できる病室になっていたと思います。
外景の写真は持っていなかったのですが、ご近所の方に頂くことが出来ました。
2010年の写真ということで弟君が生まれてから30年以上も後になります。
このころはもしかしたら既に廃業されていたのでしょうか。
看板などは見えません。
建物は老朽化が進んでいるように見えますが、あのガラスの扉は健在なようです。
ご近所の方の話ではここの先生は怪力の持ち主だったとのことで、入院している妊婦さんが夜中に産気付くと2階の病室から1階の分娩室までお姫様抱っこで階段を下りて運ばれたとのこと。
その話を聞いた時に、そういえばうちの母も階段を運ばれたような話をしていたなあ、と記憶が蘇ってきてデジャブ感を覚えたのでした。
この記事をご覧の皆様の中にもこの病院で生まれた方或いは先生にお姫様抱っこをされた方がいるかもしれませんよね。
開業されてる頃の写真をお持ちの方がいれば是非ご提供いただきたいです。
「岩本医院」の内部については、断片的な記憶しかございませんが、重いガラスの扉を開いて中に入ると薬なのか消毒なのかミルクなのか或いはそれらが混ざったものなのか分かりませんが、少し甘い人工的な香りがしたのを覚えています。
扉を入って正面左側に診察室、階段を上って2階が入院できる病室になっていたと思います。
外景の写真は持っていなかったのですが、ご近所の方に頂くことが出来ました。
2010年の写真ということで弟君が生まれてから30年以上も後になります。
このころはもしかしたら既に廃業されていたのでしょうか。
看板などは見えません。
建物は老朽化が進んでいるように見えますが、あのガラスの扉は健在なようです。
ご近所の方の話ではここの先生は怪力の持ち主だったとのことで、入院している妊婦さんが夜中に産気付くと2階の病室から1階の分娩室までお姫様抱っこで階段を下りて運ばれたとのこと。
その話を聞いた時に、そういえばうちの母も階段を運ばれたような話をしていたなあ、と記憶が蘇ってきてデジャブ感を覚えたのでした。
この記事をご覧の皆様の中にもこの病院で生まれた方或いは先生にお姫様抱っこをされた方がいるかもしれませんよね。
開業されてる頃の写真をお持ちの方がいれば是非ご提供いただきたいです。