ページ

2023年6月10日土曜日

前回の続きでもう少し消防関連…

前回松戸市消防出初式の記事を投稿し、長らく鳶の方々を消防署の人と誤認していたことをお伝えしておりましたが、私が消防関連の方と勘違いしていた人物がもう一名おります。

私と同世代の人なら覚えているはず、日本船舶振興会のCMに出演していたおじいちゃん、笹川良一氏です。

YoutubeにCMの動画がありましたのでご覧ください。


WikipediaによりますとこのCMは1976年から1994年に放映されていたのですね。
あんなにも身近な存在だったのに、いつの間にかテレビから消えていて気付きませんでした。
改めて視ると懐かしいです~。
そうそう、曜日ごとにバリエーションがあったんですよね。
すべて薄っすらと既視感がありますが、特に濃く記憶が残っているのが月曜日、火曜日、日曜日のバージョンです。

また、自分の記憶の中ではテレビアニメ「一休さん」と一体になっておりますので改めて調べたところ、日本船舶振興会は一休さんのスポンサーだったとのことで、記憶の裏が取れました。
一休さんは、私が視ていた80年代初頭には月曜日の19時半から放映されていたとのことですので、CMの月曜バージョンをよく覚えていることとも整合します。


ちなみに、よく思い出せませんが火曜日は「怪物くん」か「フクちゃん」、日曜日は「サザエさん」か「ガッチャマン」あたりとセットだったのですかね。
 
当時は、このおじいちゃんは消防署かなんかの偉い人のように見え、また後半に表示されるモーターボートにも関係があることが推定できますので、謎めいた印象でした。

後になって知ってみれば、このおじいちゃんは巣鴨プリズンにも収監されていた昭和の大物政治家ということで、CMで見せる優しい印象からは伺い知れない海千山千のフィクサーだったのですね。

笹川良一氏、太鼓をたたく高見山、おちゃめなチンパンジー、楽し気に纏を振り回すおじさん(テーマ曲を作曲された山本直純氏とのこと)という凸凹な個性を子供達の存在が中和して見事にハーモナイズさせており、実に印象的かつ秀逸なCMでした。

話が変わるのですが、もう一つ消防関連で思い出される出来事があります。
昭和56年(1981年)10月に発生した大勝院の火災です。

ネット上には正確な日付の情報がありませんでしたが、国立国会図書館にて「ヨミダス歴史館」という読売新聞のバックナンバーを検索できるデータベースを利用して調べましたところ、『松戸の「大勝院」焼く 歴史五百年の祈とう寺』という記事がみつかりまして、火災が発生したのは1981年10月17日(土)の21時頃ということが分かりました。

記事中では「松戸署で原因を調べている」と、その時点では原因不明である旨記載されていますが、ホームレスのような人が焚火をして引火したのだと当時聞いた覚えがあります。
(幼いころの記憶なので正確かは分かりません。)

土曜日の21時頃といえば、ちょうどドリフの「8時だョ!全員集合」を見終わってお風呂に入るくらいのタイミングだったことでしょう。
かなりの数の消防車のサイレンが鳴り響いたこともあって、尋常ならざる火事が起こっていることや、その方向は幼児だった自分にもすぐに分かりました。
マンション(新松戸コーポ)の通路に出てみると近所の方々も出てきていて、皆で火事の成り行きを見届けたのでした。
時間帯が夜だったこともあり、火の粉を噴き上げ轟轟と燃える大火災の様子は圧倒的ド迫力。
記事によれば「一時は火の手が四、五十メートルも上がった」とありますので、やはり相当大きな火事だったことが分かります。
人命被害等なかったのは幸と思います。
あれを上回る凄い火事はその後40年を経ても見たこと無いですね。。

大事件だった割にはあまりネット上に情報がありませんでしたので、記。

2023年1月25日水曜日

1980年の松戸市消防出初式

1980年1月のこと、5歳だった私は母に連れられて消防の出初式を見物に行きました。

場所はといえば、現イオンフードスタイル新松戸店(旧ダイエー)がある敷地でして、翌年の1981年にはダイエーがオープンすることになるのですが、この時はまだ空き地だったんです。

幼い私にとっては見上げる程高い梯子の上で「消防士さん」が披露する、キレッキレの技が衝撃的で、忘れられないシーンとして脳裏に刻まれているのでした。

ところが、その後お目にかかる機会もなく、写真も残っておらず母も既に他界しておりますので、実際に行われたかどうかもおぼつかない幻のような思い出になってしまっていたのでした。

先日、松戸市広報課が長年にわたって「広報まつど」用に撮影した貴重な写真が、松戸市立博物館に収蔵されていることが分かりまして、有難くも閲覧させていただく機会を頂きました。

その中に、なんと当時の消防の出初式の写真を発見いたしまして、私の幻のような記憶が真実であったことが確認できたのです!

写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

写真を見つけた時は「オーーー!!!」と思わず歓声を上げてしまいました。

何とも凄い写真です。

写真の周辺部から見ていきますと、背景に「新松戸ファミールハイツ」が見え、左隅の比較的近いところに「三菱銀行」(現三菱UFJ銀行新松戸支店)が見えますので、この場所がどのあたりなのか理解するのに役立ちます。

遠くて識別できませんが観衆の中には、きっと幼い私と母もいるのだと思います。

そして写真の核心部分となる、梯子乗りをしている方々をよく見ると「松若」と書かれた法被を着ており、写真右側の人は同じく「松若」と書かれた立看のようなものを持っています。→立看のようなものは「纏(まとい)」というものだそうです。

また、はしごを抑えるために使用している棒のような道具は「鳶口」というもので、Wikipediaによりますと、下記のような説明があります。

さらに、「松若」とは何ぞや?とネットで調べてみましたところ、「松戸若鳶会」であるということが分かりました。

2022年に松戸若鳶会では50周年記念式典が行われたとのことで、その時の写真が掲載されているサイトが見つかりました。

ありました!1980年の写真に写っている纏と同じに見えます!


もう少し調べますと、コロナが流行する前の令和2年には松戸市消防出初式において、梯子乗りも行われていたことが分かりました。
(残念ながら今年令和5年の出初式のプログラムに梯子乗りは無いようです。)

そう、梯子乗りをされていた方々は消防署の消防士さん達ではなく、地域の消防を草の根的に支えていらっしゃる鳶職の方々だったのですね。

幼い頃にはそんなことは理解できませんでしたので、消防の出初式で凄いものを見れば「消防士さんスゲぇー!」となってしまいましたし、ボーっと何も考えずに生きてしまえば、そのままアラフィフになるまで「消防士さんスゲぇー!」と思い続けてしまうわけです。

この記事を書くまで、消防士さん達は火事が無いときには梯子乗りの練習をしているんだと本気で思っておりました。。

長いこと鳶職の方々に大変申し訳ない勘違いをしていたなと思います。

改めまして鳶職すごい!と心から思います。

今回、写真の発見によって色々なことが分かり、そして私の幼心に幻として封印されていた謎をまた一つ退治することができました。感無量です!

是非また松若の梯子乗りを生で見てみたいものです。これからは毎年松戸市消防の出初式をチェックせねばなりません。。

ところで最近、新松戸在住の私の親世代の方と知り合いになる機会がありましたので、件の出初式の話を切り出しましたところ、あの場所が空き地だった頃は各種イベントでよく使われていた、という話を伺うことができました。

木下大サーカスが公演したこともあったそうです。像を3頭も連れてきてたのだとか!

うちの両親は情報に疎いタイプですので、きっとチケットが取れなかったのでしょうね。

今更ながら大変残念です。。


2023年1月3日火曜日

昭和風ガチャガチャという懐かしいアイテム

殆どの日本人がガチャを回しながら育ったと言っても過言ではないと思います。

私も4歳くらいのときには、毎週金曜日に母から貰うお小遣いを握りしめて、当時新松戸コーポの駐車場内にあった中山酒店でガチャを回していたのを記憶しております。

目当ての景品は、主にウルトラマンの消しゴムや昭和レトロなキーホルダーなどでした。

あっという間に四十数年の年月が流れアラフィフになった私ですが、今は昭和50年代くらいのおもちゃを集めるのが趣味の一つになっております。

特に昭和レトロな小物類は安いこともあり、ついつい買い過ぎてしまいまして、 オモチャ棚がいっぱいになってしまいました。

小さめのキーホルダーやスーパーカー・ウルトラマン・ガンダム・キン肉マンの消しゴムなど、下の写真以外にもかなりの数があります。


新しいディスプレイ棚が欲しくなったのですが、どうせなら棚自体にも昭和レトロ感を出したいところですので、何がベストか考えて思いついたアイディアが「ガチャガチャマシーンを使う」というものでした。

元々ガチャの景品だったような品も多いので、ガチャガチャマシーンに入れるのであれば、こいつらにとっては里帰りのようなものかもしれません。

単にディスプレイするだけにとどまらない楽しさがあって、結構ナイスなアイディアじゃないですか!?

私が幼少の頃を過ごした40年前のあの時代に、どんなガチャガチャマシーンを使っていたか、正確には覚えていません。

今時オークションなどで手に入る昭和レトロ風なガチャガチャマシーンは「あミューズ」という会社の「ガチャコップ」という製品です。

あミューズの会社概要によりますと、ガチャコップの発売は2005年とのことですので、私が幼少の頃お小遣いを貰ってはレバーを回していた機種と違うことは確かなのでしょう。
でも、このマシンを見ると妙に懐かしい感じがしますので、1980年代のあの頃にも類似品があったのかもしれません。

早速、ガチャコップ2台と台座のセットをヤフオクで買って改造しました。

今回入手したガチャコップですが、長年屋外で風雨にされされていたらしく、かなりボロボロでした。

ガチャカプセルの取出し口が割れていたり、ペンキが剥がれていたり、台座のキャスターが錆びたりしています。
結構修理が大変そうですが、覚悟を決め、分解して修理していきます。

まずは、ガチャコップ本体を台座から外します。

鍵を開けて分解します。
上の写真で私が手に持っている金属製の部品を「コインメック」と呼ぶのだそうです。


100円玉を入れなくてもレバーを回せるようにするため、コインメックを分解して仕組みを調べます。


100円玉を入れてレバーを回すと、100円玉の丸い輪郭で留め金が押し上げられて、そのまま歯車が回転していきます。


100円玉が無い場合、留め金が降りて歯車に引っ掛かるので、歯車が回転できないのですね。
なるほどー。


留め金を摘出してしまいました。
これで、100円玉が無くても歯車が回転するようになりました。


必要なネジや外蓋をつけて、無限コインメックの完成です。

無限ガチャにするための改造が完了しましたので、あとは汚いところのリノベーションを行います。


まずは、サンダーでボロボロだったサーフェスを磨きます。
多分、前のオーナーがペンキを塗ったのだと思いますが、ザツな塗り方をしていたためか、表面がザラザラになって余計に汚くなっていました。
まあ、ビジネス目的でガチャを所持している場合は細かい点にこだわってられないのも致し方ないかもしれませんが、それにしても...


本体のガチャ玉取出し口の割れている部分をエポキシパテで補填します。
乾いたらやすりで平らに削ります。


タミヤのラッカースプレーでサーフェスを塗装します。

台座も錆びや汚れが目立ち、ひどい状態ですのでリノベーションが必要です。


ブラシドリルと掃除機で錆を落とします。


あらかた錆がけずれたら、残った錆はラストリムーバーを塗って落とします。
これ、初めて使ったのですが、不思議ですね。
塗ったところの錆が消えるように無くなっていくんです。。
ただ、ひどい錆には力不足ですので、大方は削っておく必要があります。


錆が落ちたら、ペンキを塗ります。
この台座は、元々白色だったんですね。。
錆を落とすためにドリルブラシで表面を削ったところ、黒い塗装の下から白い下地が出てきました。
きっと、これも前のオーナーが黒く塗ったのでしょうね。
錆の上からペンキを塗ってあり、やはりザツな感じでした。


キャスターも新しいものに取り換えます。


台座のリノベーションが完了しました。
表面がピカピカになり、キャスターもスルスルと滑らかに動きます。
やった!!

一応、ここまででガチャコップ本体と台座のリノベーションが完了したのですが、中に入れるガチャカプセルの準備も大切なので、忘れてはなりません。

最近のガチャカプセルは、昔のガチャカプセルと違ってサイズが大きかったり、半開きの作りになっているのですね。
せっかくですので、昭和風のガチャカプセルを入手して小物類を格納したいものです。


左側と真ん中の2つが今時のガチャカプセル、右側の1つが昭和風のガチャカプセルです。
色々調べたのですが、現在昭和風のガチャカプセルの新品を入手することはできないようです。(昭和風カプセルの規格は48mmです。)

時折、ヤフオクなどにデッドストック整理品等が景品が入った状態で出品されることがので、そのチャンスを逃さずにゲットする必要があります。
ただ、中身の景品を目当てにした入札者がライバルになりますので、それなりの価格になってしまいます。。


そんなわけで、かなりの工程を経てガチャコップのリノベーションと改造が完了しました。
昭和小物のコレクションを格納するには最適なこだわりの一品だと思います。

一連の作業の様子は動画にもまとめてありますので、是非ご覧ください。