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2017年7月23日日曜日

小金城址駅


小金城趾駅って何とも言えず風光明媚な駅ですよね。
新坂川の河岸は自然の状態が保たれており夕方には夕焼けが川面に映りピンクや紫になります。
今でも夏の夜には虫の声やウシガエルの鳴き声が聞こえますよね。


こんな風光明媚なホームのベンチに座ってゆっくりビールなど頂くと、とっても美味しいのであります!



少なくとも70'sまではこのあたりの経済の中心地は流山。
新松戸の付近はド田舎中のド田舎で、小金城趾は流山に少し近い分発展が早かったようです。
小金城趾駅は長らく昔の情景を残していたのですが3.11の震災でダメージを受けたため駅に連結していた市営住宅の部分が取り壊しとなり、駅の形が若干変わってしまいました。

そんなこともあろうかと取り壊しが行われる前に小金城趾の駅を撮影しておいた映像があります。
カメラワークが悪く若干残念な感は否めませんがYouTubeにアップしましたので是非ご観覧ください。



2017年6月16日金曜日

新松戸の変わらぬ風景②


70~80年代と比べ、新松戸はかなり変わってしまいましたが、その中でもほぼ原風景をとどめている場所も僅かながらあります。

そんな場所を散歩をしつつ写真を撮るのが楽しいので、時間を見つけては訪ね歩いています。

 今回、写真を撮ってきた場所は左の地図の赤枠の場所で、主に新松戸駅の北側のエリアです。
結構マイナーな地域で、余り多くの人が行くところではないかもしれませんね。

自分が小学校低学年の時、下山公園の東側にあった絵の教室(松戸美術研究所)に通っていたり、新松戸第一公園の近くに友達が住んでいたりと、割と縁があり結構よく遊びに行ったのです。



この写真↓は下山公園です。
この公園、長細いのが特徴的です。植木が大きく育っていることを除けば35年前からほとんど変わりません。
遠くに見える緑色の波打って見える遊具ですが、コンクリートでできておりペンキが塗ってあります。全く変わりません。

この写真↓は新松戸第一公園です。















この公園もほとんど何も変わりません。特に入り口にある黄色い柵が印象的で、若干錆びているものの本当に昔の状態をそのままとどめています。

公園お近くにあるお宅。ここも変わっていません。ホッとします。
















あと、今でも通りかかると必ず寄るのですが、絶対外せないスポットがグランドール。 言わずと知れた断トツおいしいケーキ屋さんです。

35年前にも全く今と同じ姿でそこにありました。
70年代からやっている老舗がほとんど消えてしまった中、 元気に営業されている姿を見るだけでホッとするとともに愛おしい気分になります。



















ここはスフレチーズケーキが美味しいんですよね。小さいころから大好きでした。

あと、バケット入りのレディーボーデンのアイスクリームを買ってもらい、よく家族みんなで食べたものです。
あの頃はハーゲンダッツなどありませんでしたから、高級アイスといえば、レディーボーデンでした。

レディーボーデンって今もあるんですかね?
→調べたところ、あるようですね!無性に食べたくなりました。

youtubeに当時のCMが転がっていました。



下の写真はグランドールの隣にある謎の階段です。この階段も昔からあって、その当時から謎でした。キャバクラでもありそうな雰囲気ですよね。(実際のところは調べていませんが。。)


今回はこれくらいにいたします。変わらぬ風景シリーズはまたやりたいと思います。

2017年2月19日日曜日

新松戸の変わらぬ風景①


遠い昔の1984年くらいには新松戸を出てしまったため今や新松戸に住んでいるわけでは全くないのですが、時間を見つけては散歩に行っています。

新松戸を散歩をしていると目まぐるしく変化する世の中にあっても当時とほとんど変わっていない風景を見つけることができるので心が和むんですよね。

今回は散歩中に撮ったそんな写真をアップしたいと思います。

最初の写真はサンライト6番街付近の武蔵野線のガードレール下です。
植え込みの緑がきれいですよね。
そう、ここは35年前から時が止まっているかのように変わらぬ風景です。

  

そういえば新松戸はプラタナスの並木が多いのですが、昔はよくアメリカシロヒトリという毛虫が大量発生して道端に落ちていたものです。
若い人には想像できないかもしれませんが、さながら人類vsアメリカシロヒトリの全面戦争と言っても過言ではないくらいでした。
いつのまにか人類の完全勝利で戦いが幕を降ろしていたのですね。最近では全く見かけないのではないでしょうか。

アメリカシロヒトリ(惚け爺のたわごとより引用)

下の写真は横須賀小学校の校舎です。校舎は昔とほとんど変わりません。
が、昔は校舎の向かって左側の端のあたりに大きな鳥小屋があって、インコや十姉妹やチャボ等が大量に飼われており、ピーチクパーチクと鳴き声が賑やかでした。
今は無くなってしまったのですかね。

あと、写真の左端のあたりの校庭には田んぼやアヤメ園がありました。
用水路のようなものも掘ってあり春から秋にかけてはいつも水が張ってあったのですね。
そこでは小さなゲンゴロウ、アメンボ、ミズスマシ、ヤゴなどがいたのを覚えています。
運が良いとミズカマキリもいました。
昼休みにはそれらを捕まえて遊んでいたものです。


下の写真はファミールの集会場付近です。
確か昔は集会所の一角にファミール歯科でしたっけ?歯医者さんが入っていたのですが、今はないようですね。
ここの集会所を使って保育所の子供が集まるクリスマスパーティーなどやっていました。
楽しい思い出がたくさんある施設です。

下の画像はファミールと教員住宅の間から見た夕焼けです。
この辺りはまだ高い建物がそれほどなく空が広いんですよね。
見る角度によってはかなりきれいな夕焼けを見ることができます。


教員住宅は既に住人はいないようですね。
取り壊しを待つばかりといったところでしょうか。
ここには保育所や学校の友達が何人か住んでいてよく遊びに行ったものです。
当時としても結構古い建物でしたから、築年数はゆうに50年を超えているかもしれないですね。



下の写真は市営住宅。同じく昔からある建物ですがまだバリバリ現役でございます。
今は薄緑色の外壁が昔はレトロポップなオレンジ色で、かわいい感じの外観でした。



下の写真は、武蔵野線と常磐線の接続線のガードレールです。
昔は排水が悪かったのですかね。大雨が降るとこのガードレールは完全に冠水してしまい車が通れなくなっていました。
普段使っている道が巨大な池になってしまうわけですから当時としても衝撃的な絵でした。


 今回はとりあえずこれでおしまいです。

まだとり貯めた写真があるので、懲りずにアップしたいと思います。




2015年4月28日火曜日

ススキのはらっぱ


70'sはまだ新松戸も発展途上で、かなり自然が残っていました。

子どもの頃、コーポの北側は丈の長いススキが生い茂る原っぱが広がっていて、暇さえあればバッタやカマキリを捕まえて遊んだのが思い出されます。

草刈りされていたのかススキが生えていない領域もあって、そこにはシロツメクサやレンゲソウが一面に生えており、白やピンクの花を咲かせていました。ミツバチやてんとう虫なんかがたくさんいて、賑やかな感じでした。
冠を作ったり四つ葉、五つ葉のクローバーを探したりと楽しく遊びました。

今の新松戸は原っぱはほとんどなくなってしまいましたが、唯一当時の面影を残す場所が新坂川沿いです。

流山線沿いの「おたふく」という老舗のおでん屋さんで地元育ちの常連様から聞いたところによると、地元では新坂川を新川と呼ぶそうです。
新坂川沿いの土手や道端には当時を彷彿とさせる立派なススキが生えていますが、このあたりのススキの穂は芯の部分がやや赤みがかった色をしているんですね。



関東ローム層の赤土が影響しているのではないかとのことですが、昔からの言い伝えでは関ケ原の合戦当時に豊臣方だった小金城主の家来たちがこの地で追手に捕まって殺され、土にその血がしみ込んでいるからススキの穂が赤いのだと言われていたそうです。※注

武蔵野線すら通っていない時代には新松戸から西側は湿地と田んぼ以外には何もなく、地平線が見えたそうです。地平線に沈む夕日は綺麗だったことでしょうね。
今でも結構新松戸の空が広いのは、きっとその頃の名残なのでしょう。

ところで、昔は新松戸という地名はなかったそうです。新松戸の駅ができるときに幸谷や大谷口などの間に地名の綱引きがあったようで、まとまらないため新松戸になったそうです。

ちなみに、流山線に小金城趾という駅がありますが、住所は大金平です。この住所も比較的新しい地名とのことで、大谷口、金杉、平賀が綱引きをした結果として「大金平」になったそうです。


新坂川沿いは昔の面影を留めていて散歩をするとホッとする場所なんですよね。

話は変わりますが、80年代の前半頃までは新松戸コーポの廊下を朝歩くと、夜のうちに蛍光灯に集まった大物の昆虫達が落ちていました。

こんな奴らです。↓シロスジカミキリ
出展:http://tukik.exblog.jp/14998983/

こんなのもしょっちゅう↓オオミズアオ
出展:http://www.nextstandard.jp/category/1264785.html

レアではあるものの、コクワガタやノコギリクワガタ(雌)を見付けたこともありました。

根性がある子供は朝早起きして1階から9階までの廊下をくまなく探し、かなりの数のクワガタを見つけていたようです。
友達の兄貴がプラケースいっぱいにゴソゴソと飼っていたのが思い出されます。

こんな大物昆虫たちが原っぱから出没していたかどうかわかりませんが当時はそれだけ豊かな自然があったということですよね。

今となってはあり得ないですよね。


※注
後日、図書館で小金近辺の言い伝えについての文献を読んだところ、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、小金城主の高城氏が北条側だったため、豊臣軍に攻められ多くの兵が戦死し、その血が土にしみ込んだためススキが赤くなったという言い伝えがあるのだそうです。
また、別の地元の有識者の方からススキの茎が赤いことにまつわる別の言い伝えをお聞きする機会がありました。
大谷口に平戸弁天(いぼ弁天)という祠がありまして、富豪の娘がイボを洗って治療したことが逸話として伝わっているのですが、その娘さんが笹の葉で手を切って怪我をした際に流れた血でススキが赤くなったのだという言い伝えがあるのだそうです。