ページ

2020年11月10日火曜日

1976年、1985年の新松戸の風景が見られる凄い動画

 先日、Youtubeですごい動画を2本見つけましたのでご紹介いたします。

それぞれ1976年、1985年のいずれも流山電鉄の走行シーンなどを主眼に撮影されたものなのですが、その背後に映り込んだ背景やついでに映されたと思しき何気ない風景が素晴らしいのです。























特に1976年(昭和51年)の映像はクリアかつ編集も完璧!重ね重ね素晴らしい映像です。
自分が特に感動したのは下記のシーンです。


ちょうどこの年に2歳の自分が住むことになる新松戸コーポがこのときはまだ建設中で、作業用の足場がとれていないんです。

そして見覚えのあるこの石碑。いつのまに無くなったものやら、自分が小学校に上がるくらいまではあったと思うのですが、確かにこんなものがそびえたっていました。
「小金土地改良~」下のほうがススキに隠れて読めません。。
→どなたか解読可能な方、コメントください!

もう一つ深く感動したのが、下の木橋が映ったシーン。
これ、新坂川に架かっていたのですが、再び目の当たりにできるとは思ってもいませんでした。


自分がこの木橋を渡ったのはこの映像の数年後、橋はこれに輪をかけてボロくなっており今にも落ちそうな感じでした。材木ももっと黒っぽく変色していたと思います。(→注)

まだ幼く体が小さかったためでしょうか、おっかなびっくり渡ると新坂川の川面が遥か下方に見えてとても怖かったものですが、実際のところ高さはこんなもんだったのですね。。

80年代初頭は全国的に環境汚染が深刻な時期でしたから新坂川も物凄く汚かったんです。
なにやら得体のしれない緑黒いヘドロのような浮遊物がいつもゆったりと川面を流れており水も緑グレーに濁って川底が見えませんでした。

それも恐怖感を増幅させたのでしょうね。

この橋は生活で使っていた方々もおられたのでしょうが、子供達にとっては単なる度胸試し専用でしかございません。
中には渡りながら飛び跳ねたりワザと揺らしたりなどハードなプレイをする子も。

自分は橋を渡った武勇伝を両親に語り、二度とそんな危ないことをするなと思いっきり叱責されたのでした。

宅地化で子供がどんどん増えていた新松戸にあってはさすがにこんな危険なものが長く放置されるはずもなく、そのうち撤去されてしまったのでした。

位置関係としては下記の地図の通りとなります。

お次は1985年の映像からのショットになります。



中央付近に映る流山線の車両に目が行ってしまいがちですが、自分が注目したのは画面右端の方に見える黄色と赤のアーケードです。

看板に「パン」の文字がかろうじて読めますが、こちらパン屋の「ハンス」です。

店の真ん前に駐車車両があるのは、このころはもうハンスが小金中学校の前に移転してしまっていたからと思いますが、80年代初頭にはハンスは2店舗を構えておりこちらの店が本店でした。

おやつにちょうど良い大きさのプチパン、ふわふわのイギリスパンなど焼きたてのパンがとてもおいしく、当時絶大な人気を誇ったドラえもんなどのキャラパンも売っていて楽しいお店でした。ちなみにドラえもんパンの鼻は赤く着色されたチェリーでできていました。

奥の緑のアーケードは私の記憶が正しければ「ゴルフショップ大木」、流山線車両左側の赤いアーケードは「スナックしろあと」です。

これまでYoutubeはノーマークでしたので、こんな素晴らしい映像があることに驚くとともに感動いたしました。
動画をアップしてくださった方に心からお礼申し上げたいです。

(注)
後日、松戸市立図書館の本館で「写真アルバム松戸市の昭和」という資料を見ていたところ、昭和63年(1988年)の木橋の写真を見つけました。


昭和51年シネスコ版の映像よりも新坂川の護岸が高くなっており、木橋も高い位置に架かっているように見えます。
こちらの光景の方が自分の記憶と符合しますので、恐らく昭和51年から数年後に護岸工事が行われその時に木橋も架け替えられたのでしょうね。。