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2018年12月2日日曜日

用水路でザリガニ釣り


写真に刻まれている1983年5月7日というのを信じれば土曜日の午後です。
当時はまだ週休二日制ではありませんので午前中は学校があり、その後自分を含め共働きの家庭の子は学童保育所に通っていたのでしょう。
今回の写真は学童保育所の友達とザリガニ釣りに行った時の写真と思われます。


今ではあまりにも景色が変わってしまい正確な場所を特定するのは困難ですが、記憶によれば下の地図の赤枠のあたりです。新松戸西パークの北西、南流山中学校の南あたりです。


当時はこの辺りには田んぼが広がっておりまして用水路の中にはザリガニのみならず各種のカエルやクチボソ、金ブナ、ライギョなどが生息しておりました。

成熟した赤いザリガニは「まっかちん」と呼ばれていました。
当時は娯楽の少ない時代で猫も杓子もザリガニ釣りをしていましたので、キャッチ&リリースを繰り返されたザリガニ達はすっかりスレてしまっていて、なかなか餌に掴まってくれませんでした。
稀に「まっかちん」を釣り上げるとかなりの達成感を感じたものです。

小学生がザリガニを狙う一方、中学生のお兄様方は鮒やライギョを狙って釣りをしていました。
当時はまだルアーなどは一般的ではなかったのですかね、ライギョ狙いの人は生きたカエルに針をぶっ挿して泳がせて釣っておられたようです。

あるとき知らないお兄さんからもらった鮒や自分で捕まえたクチボソなどを持ち帰り、父の小さな金魚水槽に勝手にINしたことがあったのですが、なんせ野生の魚ですから予想以上に強く、かなりの金魚がつつかれて殺されてしまいました。
父を悲しませる結果となり、捕まえた魚を逃がしに行った思い出があります。

あとザリガニは持ち帰ってマンションのベランダで飼ったりしていたのですが、結構脱走してベランダから落ちるんですね。住んでいたのは7階でしたので、よくマンション下のアスファルトでペッちゃんこになっていました。
そういえば自分が飼っていたものではありませんが、血だらけで瀕死のカメが落ちていたのを見つけたこともありました。

思い出を書くうち生き物残酷物語みたくなってしまいましたが、ともあれ昔は新松戸にも田んぼや用水路などの自然が残っていて生き物がたくさんいた、というお話でした。




2018年11月10日土曜日

プラレール新幹線0系という懐かしいアイテム


プラレールって凄いですよね。
なんせ40年以上もの長きにわたって基本的な構造はおろか部品の規格などもほとんど変わっていないんです。
極めて先見の明がある設計だったと感嘆せざるを得ません。

自分は5歳くらいの時から小学校3年生でNゲージに乗り換えるくらいまではこのオモチャでよく遊んでいました。

当時使っていたものはもう実家にもありませんが、この度ヤフオクで落札に成功しましたのでご紹介します。


豆電球が点灯して鼻が光るひかり号(0系新幹線)なのですが、これ、懐かしい人多いんじゃないでしょうか。

新松戸コーポに居住していた当時はリビングから寝室から全ての部屋をぐるっと回るような壮大なレールを敷設して電気を消して暗い中を走らせたりして楽しんでいました。

あともう一つは国鉄色と言われる橙色と赤の鼻ぺちゃな特急ですね。こちらは電池を入れても動かなかったのですがあまりにもレトロなその姿をみるだけでほっこりした気分になります。

動画も撮りましたので是非ご覧ください。


使っているレールや駅やトンネルなどは数年前に自分が子供に買い与えたものです。
40年もの時を超えて昔の電車が今のレールで全く問題なく走れちゃうあたり、不思議な感じがします。

動画の撮影中、うちの5歳児が興味津々で近寄ってきました。
「か~して!」って言っても「だ~めよ!」。
だって、おまえ壊すじゃん。。

お片付けして大事にしまっとこっと!
鼻ぺちゃ特急はそのうち修理したいです。


2018年10月6日土曜日

岩本医院


かつて小金城趾駅から新坂川沿いに西に200メートルほど歩いた辺りに岩本医院という産婦人科がありました。
1970年代には新松戸中央病院もありませんでしたし、出産する多くのママはこの病院のお世話になっていたものと推察されます。

うちも例外ではなく自分の弟君はこの病院で生まれたのでした。

1978年の梅雨の時期のこと、まだ舗装されておらずいたる所に水たまりが出来た凸凹の砂利道を長靴で歩いて入院中の母を訪ねました。

きっと父がカメラを持ち込んだのでしょう。その時に岩本医院2階の病室の窓から新松戸コーポ方面を撮影した写真が以下です。


当時まだ4歳になっていなかった自分は「岩本医院」という名前も正確な場所も憶えておらず、母が入院していたのは「井口医院」の移転前の場所だと長らく思い込んでいました。
ところが、どうもこの写真に見える風景とGoogleストリートビューで見た旧井口医院からの風景で建物群のアングルが整合せず、不思議に思っていたのでした。

国立国会図書館に赴き70年代当時のゼンリン地図を閲覧したところ、ちょうどこの写真のアングルが撮影できる位置にかつて「岩本医院」という産婦人科があったことが分かりました。(現在は宅地になっており、病院は跡形もありません。)

母は既に他界しておりますので父に確認したところ、確かにその名前だったとのことで、やっとのことで撮影場所の確定に至りました。

引用元:国土地理院

上の写真は国土地理院からダウンロードした1979年9月の航空写真です。
上側が南、下側が北となっておりまして、冒頭の写真は赤い→のアングルで撮影されています。

「岩本医院」の内部については、断片的な記憶しかございませんが、重いガラスの扉を開いて中に入ると薬なのか消毒なのかミルクなのか或いはそれらが混ざったものなのか分かりませんが、少し甘い人工的な香りがしたのを覚えています。
扉を入って正面左側に診察室、階段を上って2階が入院できる病室になっていたと思います。

外景の写真は持っていなかったのですが、ご近所の方に頂くことが出来ました。


2010年の写真ということで弟君が生まれてから30年以上も後になります。
このころはもしかしたら既に廃業されていたのでしょうか。
看板などは見えません。
建物は老朽化が進んでいるように見えますが、あのガラスの扉は健在なようです。

ご近所の方の話ではここの先生は怪力の持ち主だったとのことで、入院している妊婦さんが夜中に産気付くと2階の病室から1階の分娩室までお姫様抱っこで階段を下りて運ばれたとのこと。

その話を聞いた時に、そういえばうちの母も階段を運ばれたような話をしていたなあ、と記憶が蘇ってきてデジャブ感を覚えたのでした。

この記事をご覧の皆様の中にもこの病院で生まれた方或いは先生にお姫様抱っこをされた方がいるかもしれませんよね。

開業されてる頃の写真をお持ちの方がいれば是非ご提供いただきたいです。




2018年9月9日日曜日

ダルタニアスの超合金という懐かしいアイテム


すっかり更新が滞ってしまいました。
全てはこいつらのせいなんです。


これらは「未来ロボダルタニアス」っていうアニメの超合金でして、左からベラリアス、アトラウス、ガンパーと申します。

Wikipediaによりますと、「東京12チャンネル(現・テレビ東京)水曜日19:30 - 20:00枠において、1979年(昭和54年)3月21日から1980年(昭和55年)3月5日にかけて全47話が放送されたロボットアニメ。」とありますので、ほぼ40年近くも前の放映なんですね。

この3機、合体して1つのロボットになるんです。
当時4歳~5歳だった自分はストーリーなど覚えていませんが、この合体のシーンがかっこよくて脳裏に深く刻まれています。

ダルタニアスはポピー(現バンダイ)のビジネスモデルの走りなんですかね。
当時このような超合金のおもちゃが発売されていたのですが、いつも通り激烈なおねだりをするも買ってもらえず友達のものを見てうらやむばかりでした。

それ以来無念な気持ちが亡霊となり長いこと私にとりついていたようです。

数年前ひょんなことからヤフオクで目撃したことで亡霊が長い眠りから覚め、がぜん買おうとするも結構お高かったんですよね。
五体満足で箱入りのようなものは5万円以上もの値段が付いてしまいます。

なんせ子育て中のサラリーマンの身、そんなお金の使い方をしたのがバレれば家族から冷たい視線を浴びるのみならず不良パパの汚名を着せられてしまいます。
でも欲しい。。
ということでバラバラに売られているジャンク品を集めて合体させることにしました。不要不急のものですからね、それがバランスの取れた判断というもの。。
2年ほどを要して3体を落札した結果、合計8千円くらいで集めることができました。

でもそこはバラバラのジャンク品のこと付属品や細かいパーツが無くなっているんですよね。

しょうがないから作ることにしました。実物の寸法等はわかりませんので「それらしく見えればオケ」くらいの雑なノリです。

まず「パンチ」です。アトラウスに付属のパンチはいかんせん小さくてかっこ悪いんですよね。
アニメでも超合金でも合体後用のパンチがガンパーの中から出てきてアトラウスのパンチにかぶさる設定です。

ホームセンターで木のパイプを購入して削り腕の部分を作ります。

木のキューブ素材を組み合わせて掌を作ります。

彫刻刀やヤスリで整形します。

腕に掌を差し込みます。エポキシパテで腕輪?のような部分を形成しました。

塗装前にサーフェスを仕上げます。

次にアトラウスの角(ツノ)です。和菓子用の楊枝のような素材を接着剤でくっつけてそれっぽい形にします。

エポキシパテなどの力も借りつつ彫刻刀やヤスリで形成しました。

次は剣です。火炎剣というもののようです。
こちらも木を彫刻刀で削って形成しました。

一通り必要なパーツの形成と整形が終わったところで、塗装です。

結構苦労しましたが何とかそれっぽくなったかな?
いちおうかんせい!

それにしても大変でした。
簡単なように見えるかもしれませんが全く経験もセンスもない素人でしたので、失敗が多くてやたらと時間がかかるのです。仕事が忙しくなると作業が滞り時間ができるとまた再開することをダラダラ繰り返すこととなり、全行程を終えるのに1年近くも要してしまったのです。

ともあれ遂に合体の瞬間がやってきました。
じゃじゃーん。



どうですか。この雄姿。
うーん、感慨深いです。やった甲斐がありました。

でも大変過ぎて二度とやりたくありません。。

2018年2月28日水曜日

大金平観魚園

観魚園は想像を絶するくらい素晴らしい店でした。

極めて多種の金魚あり当時は珍しかった熱帯魚あり、カブト虫・クワガタ虫、釣り堀ありと来たら小学生の男の子にとって楽しくないはずがありません。

当時は娯楽の少ない時代、小学生のみならず特に男性は子供から大人までみんなこの店に通ったのです。
休日ともなれば釣り堀の周囲はオジ様達で埋め尽くされていたものです。。

そんな観魚園ですが皆に素敵な思い出だけ残してかなり前に閉店していまいました。
いまさらながら残念極まりありませんが、この度オーナー様にお願いして写真を頂く幸運に恵まれましたので皆様にご紹介いたします。


まずは外観、本当に懐かしいですよね。入店前からワクワクするのです。。


お店に入ると金魚達が迎えてくれます。
金魚は本当にたくさんの種類がいました。メダカやタナゴなどもいました。 うちの父は金魚を飼っていて日曜日はよく活性炭やパイポ、イトミミズなどの消耗品を買いに来たものです。


こちらは釣り堀。コンクリートのプールですが緑色の消毒液(多分、メチレンブルー)が溶かしてあって、水の下の方は見えなくなっていました。


かかっていたBGMは当たり前のことながら、ド演歌でございます。
大人から子供まで演歌を聴きながらの釣り。オツなもんでした。

餌はうどんを短く切って蛹粉をまぶしたものかウジ虫を選べるようになっていたと思います。
自分は小学校低学年の時にここで初めて釣りをしたのですが、全然釣れないのを見かねたシニアなお客様にやり方をお教えいただき、結構でっかい鯉が釣れたのを鮮明に覚えています。あの時の喜びは一生忘れないことでしょう。


こちらは受付ですね。ここでお金を払って釣り竿と餌を受け取るんです。 あの頃の記憶が激しくよみがえり泣きそうな気分になるのはきっと自分だけではないでしょう。


どうでしたか?
心の吟線に触れるような素晴らしい写真をご提供いただきましたオーナ様に感謝申し上げます。

2018年2月3日土曜日

くるくるてれびという懐かしいアイテム

1970年代終盤から1980年代の前半くらいでしょうか。
くるくるてれびというおもちゃがありました。


当時はまだVHSのビデオすら持っている家庭はちらほらという感じで、好きな時に好きな映像を観れるような時代ではありませんでした。
そんな中で発売され皆の羨望を集めたアイテムが「くるくるてれび」だったのです。

当時のCM↓

私も大変欲しくなり両親におねだりしたものの買ってもらうことができず、例のごとくに残念モンスターに取りつかれ40年を経るに至ります。

長いこと忘れていたのですが、気づけばヤフオク等でかなりの数が出品され人気なんですね。
今やYoutubeやAmazon Primeがあるご時世ですので、このマシーンに期待する役割というものは高画質などではなく圧倒的なレトロ感のある映像です。
供給が多いおかげかお値段もそれほど高くありませんでしたので私も1つ。。

まあ予想はしていたのですが動作未確認というやつは基本的に動きませんよね。
私が落札した機体もまともには動きませんでした。
一応電池を入れると動作音がしてフィルムを送るアームが力なく動くのですが、カセットを挿すと止まってしまう状態。モーターが弱っていてフィルムを送ることができないようでした。

ダメかー。でも40年も前のレトロ星人達が作ったオブジェクトに負けるわけにいきません。修理して完全勝利してやると心に誓いました。

とりあえず中を開けてみましょう。


意外と単純な作りになっていました。モーターにギアがついていてフィルム送りのアームを動かすのですね。
モーターは黒いビニールテープで台座に固定してあるだけです。
うん、がんばればなんとかなりそうです。

さっそく新しいモーターを買いに秋葉原は千石電商へ。
それほど電気関連に詳しくない自分にはどんなモーターを入れればよいかよくわかりませんでしたが、とりあえず2.4V~3.0Vで動作するタミヤのミニ四駆用トルクチューン2モーターPROを購入。


劣化していたギアは新調してモーターに取り付け台座にテープで固定しました。


電池を入れるのは面倒なので携帯電話の充電器から電源をとれるように改造。
部品は写真中央の「スピードコントローラー」を除き全て千石電子で調達しました。


「スピードコントローラ」はその名の通りモーターにかける電圧を調整して回転速度をコントロールするモジュールです。

お恥ずかしい話ですが、これを導入する前に可変抵抗をモーターと直列に繋いで電圧をコントロールしようと試みたのですが、そんなことをやらかすのはズブの素人だけのようでして、可変抵抗がひどく発熱してしまい発火が危ぶまれる状態となったのでした。

いろいろ調べた結果Amazonでこいつを見つけて購入した次第。
専用の道具というのはいいですよね。完璧に役割を果たしてくれます。

アルミ製のシャーシにドリルで穴を空けてスピードコントローラーを固定します。



USBの電源ケーブルを携帯電話の充電アダプターに挿して完成です。

それでは、さっそく動かしたところの動画をご覧ください。
フィルム送り用のアームが動く音が結構ガーガーうるさいので、音量を下げて視聴された方がいいかもしれません。

     <バトルフィーバー>

     <銀河鉄道999>

撮影がうまくできずお見苦しかったかもしれませんが、意外とちゃんと動画になっているんですよね。
当時の技術でできることをしっかりやっているな、という印象です。

そんなこんなで結構大変でしたが子供の頃に捕り付かれた残念モンスターをまた一つ成仏させることが出来たのでした。。

2018年1月1日月曜日

ダイマツ商店

1983年頃のことでしょうか。
小学校低学年だった私は親友と共にダイマツ商店という酒屋兼駄菓子屋のようなお店に足しげく通いました。

お目当ては瓶入りのドクターペッパーです。
ドクターペッパーはそれ自体大好きな飲み物でしたが、それに加えダイマツ商店のドクターペッパーにはもれなくクジ引きをする権利がついてきており、その景品がカブト虫やクワガタ虫だったのです。

この頃はまだ新松戸でもコクワガタが採れ、極稀には小型のノコギリクワガタくらいは捕れたのですが、ダイマツ商店の立派なカブト虫やクワガタ虫は魅力でした。
ご店主夫婦が柏のゴルフ場で捕まえて来たものだったと伺った記憶があります。

当時ドクターペッパーは1本70円でした。
お小遣いがいくらだったのか覚えていませんが70円というのは当時の自分でも割と手の届く金額で、結構な数を飲みました。クジの方はハズレが多いものの、たまにクワガタ虫をゲットすると無上の喜びを感じたものです。

そんな思い出深いダイマツ商店ですが、この度、店主ご夫妻様にお願いして当時のお写真を頂くことができました。

まずはじめの写真は開店当初の頃のお写真とのことで貴重な一枚です。
自分が通っていた頃はこの黄色のアーケードだったと記憶しています。 あの頃の楽しい記憶が蘇ってきます。


以下は1986年~87年頃当時の店内の様子になります。




店内所狭しとお酒の瓶が陳列してある風景。懐かしさに胸が熱くなります。

その後、新装開店されたとのことです。
自分はこの頃には既に新松戸を離れてしまっていたのであまりなじみはないのですが赤いアーケードが素敵で、昭和の時代独特の活気と美しさが感じられます。



当時子供でお店に通っていた方にとってはどれも見入ってしまうようなものばかりだったのではないでしょうか。
お写真を下さいました店主ご夫妻様に改めましてお礼申し上げます。