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2017年1月29日日曜日

1977年頃の松戸駅と伊勢丹


若干新松戸ではないのですが1977年頃の松戸駅と伊勢丹の写真が見つかりましたので投稿しておきます。


103系の緑の電車、懐かしいですね。窓全開。
この頃は電車にエアコンなど無かったのです。

写っている親子は私と母です。 母は他界し私もすっかりおじさんですので顔出し上等です。。
写真に写っている私、服を着ていないように見えますが一応着てるんですよ~。
今でも覚えています。あのベージュ色のランニングシャツ。写真は色あせてしまったのですかね。もうちょっとモスグリーンっぽい色だったと記憶しています。


松戸の伊勢丹がオープンしたは1975年ということですからこの頃はまだ2年目なのですね。

この頃はまだ新松戸ダイエーなどありませんでしたから、何か日用品以外の買い物があると松戸の伊勢丹によく行ったものです。

後ろに見える緑の円筒形の構造物は何だったんですかね。
特徴的な物体でした。薄れゆく記憶をたどるに、あの根本付近に噴水があったかもしれません。。

当時、伊勢丹は活気があって子供をワクワクさせる雰囲気がありました。
伊勢丹の一階でペロペロキャンディーを買ってもらったり、おもちゃ屋でラジコンを買ってもらったのが良い思い出です。


2016年12月23日金曜日

牛乳キャップという懐かしいアイテム


80年代に流行った牛乳キャップ集めに最近あらためてはまっています。

当時集めていたものは友人宅に忘れたまま別の子に持っていかれて失われてしまったのですが、最近はYahoo!やメルカリで検索するとかなりの数が出品されていますのでそれらを購入することで収集可能なのですね。

値段は数百円~数万円と幅があります。

自分は貴重な銘柄をコンプリートするつもりはないのですが、当時持っていたものを完全に取り戻すことをゴールに決め頑張っております。

で、集めたもののほんの一部がこちら。↓

約3年間のコレクション歴ですが当時持っていたものは全部ではありませんが、かなり取り戻しました。
この写真に写っているものだけでけっこうな金額がかかったのですが、でもまあ呑みに行く回数を減らせば容易に捻出できてしまう額です。

でも、当時のコレクションの中には相当希少なものもあり、そんなやつらはどうしてもオークションでお目にかかれません。今持っていたとしたら数万円の値段が付くものもあったんだろうなぁと思います。

できることならあの日に戻り、友人宅から帰ろうとする子供の自分に「何か大事な物忘れてないかい?」と囁いてやりたい。。

ところで当時横須賀小学校の給食で出されていた牛乳は雪印牛乳(写真の最右列、上から4番目の青いキャップ)でした。
途中で保証牛乳(写真の右から3列目、上から2番目の赤いキャップ)に変わったのを覚えています。

保証乳業は工場が松戸にあったのですがもう潰れてしまったようですね。
最近ではキャップもプラスチック製に変わり、紙のキャップは殆ど見かけなくなりました。
残念な流れではあるもののやむないことではあるので、せめて今あるものだけでも大事に愛でたいと思います。


2016年7月9日土曜日

1976年頃の新松戸パノラマ写真


実家で見つけた新松戸の写真の中で最も希少価値のありそうなものを公開いたします。
1976年晩秋~1977年早春に撮られたと思われる新松戸のパノラマ写真です。
新松戸コーポ7Fベランダからの撮影になります。

画像クリックで拡大↓

まだこの頃は見渡す限り原っぱで、本当に何もありませんよね。
サンライト1番街ですらまだ存在しません。

この頃は、道もそこらじゅうがまだ舗装されていなくて砂利道でした。
車が通るとタイヤが砂利をはじくボコボコボコってゆう音がしますし、雨が降れば道の轍に沿って大きな水たまりが沢山出現し、長靴が必須だったんですよー。

こんな貴重な写真を撮影してくれた母に感謝です。

上の写真の時期より少し前になりますが、国土地理院に1975年1月の航空写真がありましたのでご紹介します。
下方にある赤丸が上の写真の撮影地点です。(上が南、下が北)


もう一つご紹介。
似たようなことを考える人はいるものでして、他にもパノラマ写真を撮られた方がいたようです。
以前、新松戸の地域情報を発信されていた「しんまつどドットコム」様に掲載されていた写真を頂きました。



こちらも恐らく1976年か1977年の春に新松戸コーポから撮影されたものと思われます。
北側の風景も収められています。

もう一つ、これも「しんまつどドットコム」様からの頂き物になりますが、1970年に馬橋側から新松戸方面を撮影したパノラマ写真をご紹介します。

まだ武蔵野線や武蔵野線と常磐線上野方面を結ぶ貨物船がが工事中であることが分かります。

いずれも新松戸の黎明期の様子がわかる貴重な写真ですよね。
いくら見ても見飽きません。



2016年6月20日月曜日

バンバンボールという懐かしいアイテム


最近、70年代~80年代に遊んだオモチャを再入手することが楽しくて止められません。
「昭和レトロ」をキーワードに検索して色々なものを入手しているのですが今回はバンバンボールという品を購入しましたのでご紹介。

これ、覚えてらっしゃる方いますかね?


バンバンボールが流行ったのは1978年か79年頃だったと思います。

これが全国的に流行ってテレビCMもしょっちゅう流されていました。
元々は米国製のおもちゃで、なんとプロバンバンボーラーもいたのだとか。


4歳か5歳の私はこれが欲しくて欲しくてたまらず、繰り返し母親におねだりしていました。
母が渋っていたのか品薄で入手できなかったのか今となってはよく分かりませんが、いずれにせよなかなか入手できなかったのです。。

ある日、保育園の帰りに母の自転車に乗せられて新松戸駅前のスーパーマツモトキヨシに寄りました。(今はマックスバリューエキスプレスに変わっています。)

スーパーマツモトキヨシの北側の路地には商品の搬入口があったんですよね。

ここです。↓


この路地を挟んでマツモトキヨシと反対側の土地に、トラックから降ろした商品を一時的に保管する倉庫的なトタン小屋のようなものがあったんですが、ある日保育園からの帰る途中、そのトタン小屋に入荷したてホヤホヤのバンバンボールが満載された段ボールが置いてあるのを見つけました。
現物あり、母あり、という絶好の機をとらえて頑強におねだりしたためか、ついに買ってもらうことに成功しました。

お支払いはその場でしたのかスーパーに戻ったのか覚えていませんが、陳列前ですのでいずれにせよ特別対応していただいたのだと思います。

念願のバンバンボール、ゲットしたのは良かったのですが、いかんせんまだ幼児だったので紐が長すぎてCMのようにうまくバンバンすることができなかったのと、ボールとラケットを結ぶゴム紐がすぐに切れてしまったのであまり有効に遊べませんでした。

紐が切れた後は押し入れのおもちゃ箱に使われないままずっと入っていましたが、そのうちなくなっていたので父か母に捨てられたのだと思います。

結構ずっしりと重いのが印象的なラケットでした。

今回ヤフオクで再入手しましたがやはりずっしりと重くてプラスチックっぽくない質感です。でも子供の頃感じたよりはだいぶ小さいものでした。

再入手した品も紐が切れているのでバンバンやって遊ぶことはできませんが年代物ですので大切にしたいと思います。

ちなみにバンバンボールとは関係ありませんが、下記写真のマツモトキヨシ搬入口隣の2階には、You&Iという大手チェーンのレンタルレコード屋さんが入っており絶え間なく客が出入りしておりました。

まだCDも無い時代でして。。

調べてみると友&愛というのが正式な名前とのことで、チェーンの本部は後に現在のエイベックスになったのですね。

へー、そうだったんだー。


今はさびれており人の気配がありませんが昔はこのあたりは活気があったんですよね。
寂しい限りです。。

2016年3月28日月曜日

1977年頃新松戸駅ホームより


1977年頃に新松戸駅ホームより新松戸コーポ方面を撮った写真を実家で発見しましたのでご紹介します。


駅前のマツモトキヨシ(現AEON MaxValue)の建物はこの時、建設中です。
よく見ると新松戸コーポの向かって左側には小金高校が見えています。

立て看板のサニーランドは6号沿いのスケートリンクですね。
インターネットの情報によるとサニーランドは2006年に閉鎖されたようです。割と最近まで残っていたのが驚きです。。

写真左下方には堂々と駅前に路上駐車された車列が見えます。

この下は、松戸市立図書館所蔵の1978年の写真ですが、同じ場所に路駐の車列が健在で、自転車も乱雑に駐輪されていることが分かります。
この頃は、路上駐車駐輪におおらかな時代だったのですね。
写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

駅の貨物線を挟んだ西側は、特に路駐天国だったようです。
写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

駅の北西側にはかなりの数の駐車場が整備され、空いているようにも見えますが、路駐というのはタダですから抗しがたい魅力があったのでしょうね。
写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

下記は「しんまつどドットコム」様から頂きました、1977年頃とみられる新松戸駅周辺の写真です。
1978年2月竣工の南パークハウスと3月竣工のサンライトパストラル壱番街が建設中です。
写真提供:「しんまつどドットコム」より

1977年の新松戸駅南口広場のロータリーです。
交通はまばらですが、ガードレール下に駐輪された自転車はこの写真でもよく見えます。

写真提供:「しんまつどドットコム」より

同時期に撮影された写真を並べてみると面白いですよね。

2015年12月13日日曜日

1976年頃 新松戸コーポ南側の公園

またしても実家から昔の写真を掘り出してきました。

1976年頃の新松戸コーポ南側にあった公園です。
この頃もカラー写真の方がメジャーだったはずですが、なぜか白黒フィルムで撮影されていました。





今は潰されて駐車場になってしまったこの公園いっぱい遊ばせてもらいました。

シーソー、ジャングルジム、砂場、藤棚まであるなど、結構充実した公園でした。
日向なので、いつもポカポカと暖かく気持ちよかったですねー。

シーソーでは友達同士、両端に乗って思い切りギッタンバッコンやって度胸比べのような遊び方をしていました。
かなりのGを感じ、危険な遊びでした。
余りに危ないせいか今般ではシーソーは公園で見かけなくなりましたよね。

滑り台の左に見える球体は水飲み場です。コンクリート製で茶色のペンキが塗ってありました。

ところで、いずれの写真も正面は東側です。
今は新松戸ハイツがあるあたりがこの頃は原っぱでした。

時代を感じますね~。

2015年11月24日火曜日

1979年頃のロケット公園


実家で掘り出し物がありました。

1979年頃のロケット公園(鐘の下公園)の写真です!

圧倒的にオジサンとなった私、既に当時の面影はございませんので顔出し上等です。


当時はこんな巨大なロケットの遊具が鎮座していたんですよねー。
ロケットの形でしたので本当に飛ぶんじゃないか感があってワクワクしたものです。

ロケット3階部分につながるブリッジの高さは3メートル以上はあったものと思われます。

余りの高さに足はすくみ、今の感覚で言えば非常に危険です。

が、複雑な形状の遊具ですので鬼ごっこや警泥をするには持ってこいの場所で、素晴らしく楽しい公園でした。

高低差がかなりある滑り台もスピードが出て楽しかったです。


下の写真、写っている子は私と弟君です。 

幼い私が手にしているウルトラマンと大怪獣の絵本、時代を感じますね~。

当時は第二期ラストのウルトラマンレオ(1974年)が終了してから5年も経っていたのですが、ウルトラマンシリーズは依然として大人気で、再放送か或いは再々放送だったかわかりませんが日曜の朝早くから放映されていたのでした。

前日には絶体にみてやるつもりでやる気満々の私なのですが、たいがいの場合は寝坊して見逃し三振。
悔しい思いをしたんですよね。
全く反省できない子供でしたので実際に視れたのは僅かに数回だったかもしれません。

写真を見ていて思い出したのですが、当時はロケット公園(鐘の下公園)って敷地が今の半分くらいしかなく、狭かったんですね。

それにしても後ろ(公園の北西)は原っぱ以外何もないでしょ?
巨大なトノサマバッタとか、カマキリとかがいっぱいいて楽しく遊ばせて頂きましたです。。

写真左上方に見えるポータブルトイレはよく使いましたが、基本的には工事現場の人用だったと思います。
当時はそこら中で造成工事をやっていましたので、こんなポータブルなトイレがあちこちにあったんです。
そして、ブルドーザーのエンジン音やら、クレーン車が杭打ちをする「こーん、こーん」という音が絶え間なく響いていました。

引用元:国土地理院

上の写真は国土地理院からダウンロードした1979年9月の航空写真で、中心付近にある数字の7のような型の緑に見える部分がロケット公園です。
この頃、ちょうど東パークが建設中であることが分かります。

下は1984年頃のロケット公園の写真です。

この頃はバブル前夜でして、開発が進んできてはいるもののまだ原っぱが多く残っています。
もう公園の敷地が拡張されていて今と同じ広さになっており、写真の右端にロケット型遊具の黄色いてっぺんが辛うじて写っています。

引用元:国土地理院

上の写真は国土地理院からダウンロードした1984年9月の航空写真です。
こちらも中央付近に見える数字の7のような形の緑地の部分がロケット公園です。
1979年の航空写真と比べるとかなり建物が経ち始めたのが分かります。

1984年の写真の右下にデカデカと写っている鉄塔は次の写真中央付近の柵に囲まれた敷地に建っていたのですが、撤去されて久しいようです。


話は飛びますがロケット公園の東側には謎の細長い草地があるんですよね。


子供の頃はいったいこれが何なのか分かりませんでしたが、いまさらながらこの草地は鉄塔と鉄塔を結んだ間に存在していることに気づきました。

きっと、事故などで高圧電線が切れたりしたとき人家に被害が出ないよう空き地にしてあるんでしょうね。

ちなみにですが、この鉄塔を伝っていくと何処にたどり着くんだろう?と疑問がわいてきましたのでやってみました。

は終端、が鉄塔です。

撤去されて久しいあの鉄塔も入れてありまして、左から5個目のが該当します。


調べると終端はJRの変電所(新松戸⇔北小金)のようなのです。
新松戸側のターミナルとなる変電所は下の写真のようなところです。
写真右の緑地はとちのき公園ですね。昔ここでもよく遊びました。


変電所は子供のころから存在は知っていてなんとなく気になる場所ではあったのですが、見るからに怖そうなので入って探検したりはしませんでした。

他サイトの情報によると武蔵野線に電気を供給する設備なんだとか。

子供の頃の私はまさかこの施設とロケット公園脇の謎の草地が関係あるなんて全く考えが及ばず謎の草地は心の奥底に引っ掛かりをのこしたまま封印されておりました。
今回35年以上もの歳月を経て謎を退治することができたのは収穫でした。

話が色々脱線しましたが、主にロケット公園のお話でした。

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後日、松戸市広報課が長年にわたって「広報まつど」用に撮影した貴重な写真が、松戸市立博物館に収蔵されていることが分かりまして、有難くも閲覧させていただく機会を頂きましたのでご紹介いたします。

ロケット型の遊具の全景がわかる1983年頃の貴重な写真です。

写真提供:松戸市立博物館/『松戸市役所広報課旧蔵写真目録』より

さすが当時の広報のご担当者が撮られただけあってピントも構図も完璧ですよね。
この写真の左方に写っている建築中の一軒家は、前段の1984年のカラー写真では既に完成しているのが分かります。
ほぼ同時期の写真を見比べてみるというのも面白いものですね。