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2017年7月8日土曜日

スライムという懐かしいアイテム


大分前の話になりますがヤフオクでツクダオリジナルの「スライム」と「ワームマン」を落札しました。
どちらも新品未開封ということで結構なお値段でしたが、思い切ってお買い上げです。



こいつらが流行っていたのは1981年頃と思います。

スライムは緑のネバネバした物体で、ワームマンはやはり緑色のゴムっぽいヘビ型のおもちゃです。

イラストやパッケージのデザインなどから何となくそんな感じはしていたのですが、こいつらは元々米国で開発されたおもちゃなんですね。

写真左に写っている星型のケースは、トミー製の「ミーバ」というスライム状のおもちゃが入っていたものです。スライムよりも粘性が強くプルンプルンした肌触りだったような気がします。
夜光物質が練りこんであるんですね。暗い所ではぼんやりと光るんです。

今でこそスライムという言葉はよく聞きますが当時としては結構新鮮で、テレビのCMから受ける印象はまるで粘菌のような不思議な生き物でした。
ワームマンは窓ガラスなどに投げるとくっついて、その後生きているかのようにしばらく動くんですよね。

そう、こいつらの魅力の根源は「不思議な生き物感」だったのです。

昔は今ほど科学的な考え方やロジカルシンキング等は普及しておらず、世の中には迷信や説明がつかない現象がごろご落ちていました。

たとえば、川口浩探検隊は本物の大冒険を繰り広げていると疑いの余地なく信じていたし、タイガージェットシンは正義のレスラーや観客をサーベルでぶっ刺す極めて恐ろしい存在だと信じていました。(ぶっ刺された人はなぜ死なないんだろう、とは少し思っていました。)

小学生向けの百科シリーズなどには七不思議やオカルト的なネタが溢れておりましたので、スライムが生き物のように動いて自分でバケツから出てくると聞けば、「有り得る」と思えてしまう時代背景があったのです。

まあ買ってみれば想像と違って全く大したものでは無いことが分かりすぐに飽きてしまったんですけどね。
とにかく当時は不思議な物としてのマーケティングが成功して結構流行っていたのです。

自分は母にねだりスーパーで買ってもらいました。

どのスーパーかというと今はコモディイイダがある場所にあったスーパーです。
幼い頃だったのでスーパーの名前は憶えていなかったのですが、ウィキペディアの「新松戸」の説明によればマツモトキヨシの新松戸中央店だったんですね。


下記、1980年のマツモトキヨシ新松戸中央店の写真です。

しんまつどドットコム様ご提供

話をスライムに戻しますと、当時購入した品は早々に捨ててしまい今はありません。
遊んでいると埃などを吸いつけてしまい汚れてドス黒くなってしまうんですよね。

中身をお見せしたいところですが今回購入した品は新品につき開けられないので、ネットで見つけた画像を貼り付けます。

出典 sa2hara.com

ワームマンの方はyoutubeに動画がありました。



動画に出てくるワームマンは全く壁にくっつきませんでしたよね。
ワームマンが劣化しているせいもあるのでしょうが、私が購入した当時も流石にあんなざらざらした壁ではなくて、窓ガラスなどツルツルの板に投げつけて遊んでいたように思います。

あと、本来の色はパッケージと同じような蛍光っぽい緑だったはずですが、動画ではうす黄色に変色していましたね。

当時は劣化したワームマンはスライムに漬けると復活するなどと言われていましたが、ここまで劣化するとどうなんでしょうかね。。

ところで、最近ではスライムのぱちもんが100円ショップなどで売っていますよね。
4歳の子供に買い与えたら面白がって2時間もの長時間遊んでました。
すっかりオジサンになってしまった自分には分かりませんが子供にとっては未だに魅力るおもちゃなのかもしれません。

とにかく懐かしいおもちゃです。





2017年6月16日金曜日

新松戸の変わらぬ風景②


70~80年代と比べ、新松戸はかなり変わってしまいましたが、その中でもほぼ原風景をとどめている場所も僅かながらあります。

そんな場所を散歩をしつつ写真を撮るのが楽しいので、時間を見つけては訪ね歩いています。

 今回、写真を撮ってきた場所は左の地図の赤枠の場所で、主に新松戸駅の北側のエリアです。
結構マイナーな地域で、余り多くの人が行くところではないかもしれませんね。

自分が小学校低学年の時、下山公園の東側にあった絵の教室(松戸美術研究所)に通っていたり、新松戸第一公園の近くに友達が住んでいたりと、割と縁があり結構よく遊びに行ったのです。



この写真↓は下山公園です。
この公園、長細いのが特徴的です。植木が大きく育っていることを除けば35年前からほとんど変わりません。
遠くに見える緑色の波打って見える遊具ですが、コンクリートでできておりペンキが塗ってあります。全く変わりません。

この写真↓は新松戸第一公園です。















この公園もほとんど何も変わりません。特に入り口にある黄色い柵が印象的で、若干錆びているものの本当に昔の状態をそのままとどめています。

公園お近くにあるお宅。ここも変わっていません。ホッとします。
















あと、今でも通りかかると必ず寄るのですが、絶対外せないスポットがグランドール。 言わずと知れた断トツおいしいケーキ屋さんです。

35年前にも全く今と同じ姿でそこにありました。
70年代からやっている老舗がほとんど消えてしまった中、 元気に営業されている姿を見るだけでホッとするとともに愛おしい気分になります。



















ここはスフレチーズケーキが美味しいんですよね。小さいころから大好きでした。

あと、バケット入りのレディーボーデンのアイスクリームを買ってもらい、よく家族みんなで食べたものです。
あの頃はハーゲンダッツなどありませんでしたから、高級アイスといえば、レディーボーデンでした。

レディーボーデンって今もあるんですかね?
→調べたところ、あるようですね!無性に食べたくなりました。

youtubeに当時のCMが転がっていました。



下の写真はグランドールの隣にある謎の階段です。この階段も昔からあって、その当時から謎でした。キャバクラでもありそうな雰囲気ですよね。(実際のところは調べていませんが。。)


今回はこれくらいにいたします。変わらぬ風景シリーズはまたやりたいと思います。

2017年6月4日日曜日

ガチャガチャドラえもんという懐かしいアイテム


ヤフオクで復刻版の超合金ガチャガチャドラえもんを購入しました。


このおもちゃのオリジナルの方は1979年発売ということで38年も前になります。
ヤフオクでオリジナルの方もしばしば出品されているのですが、汚れが目立ったり付属のカプセルが無かったりなど状態が悪いものが多いんですね。
それで復刻版にしました。

オリジナルの販売当時に自分は小学校1年生で、ドラえもんは凄まじい人気。
テレビでは月曜~金曜18:50-19:00、金曜はその後にもう1枠19:00-19:30、日曜10:00-10:30と週7枠もの放映があったくらいです。
うちは両親共働きでしたので、母が帰宅後に夕食を準備するため世間一般より夕食の時間が遅く、平日の10分間枠を視ながら夕食を待つ日々でした。

こちら、Youtubeに転がっていた日曜日のエンディングです。↓
こちら、平日10分枠のオープニング↓
こちら、金曜日のオープニング↓

さて、ガチャガチャドラえもんのオモチャに戻りますが、
大人気の四次元ポケットから素敵な道具を際限なく取り出すドラえもんと、ギャンブル性が子供を中毒にさせるガチャガチャがコラボしたこの製品、実によく練られた企画ですよね。

当時流行っていましたので多くの友達の家にありまして、自分も欲しくてほしくてしょうがなかったのですが、ついに買って貰うことができませんでした。
人気がありすぎて手に入らなかったのか両親がケチだったのかは今になっては分かりません。
たぶん後者かな?

さて今回購入した復刻版ですが、うちに届いたとたんに4歳児の息子に発見され、気づいたときには開封されておりました。


小さなガチャガチャのカプセルを後頭部の投入口から入れ、しっぽを引っ張って離すとポケットからカプセルが勢いよくポコンっと出てきます。

よくできたおもちゃというのは世代を超越した面白さがあるのですね。うちの4歳児はしばらくの間夢中になって遊んでいました。

まあ新品ですので壊れてしまうことは無いと思いますが放置すればカプセルなど付属品が無くなるのは時間の問題であります。

スキをみて子供の手が届かないところに隠して大事に保管しようと思います。

2017年5月5日金曜日

1984年1月19日の大雪


1984年1月19日は大雪でした。新松戸でも積雪が20センチを超えたのです。

自分は当時3年生だったのですが、かぎっ子で学童保育所に通っていました。
当日は昼頃から雪が降り始めたと記憶していますが、未だかつて経験したことのないような積もり方で、学校から学童保育所への下校中に雪玉を転がして帰りました。

雪玉の直径が1メートルを超えるとかなり転がすのがきつくなり、休み休みかなりの時間をかけて押して行きましたが、後から来る子供達や近所の主婦にも手伝ってもらい、何とか学童保育所にまで転がして帰ることができたのです。
着いた時には手袋も通水していて手が氷のように冷たくなり、靴もびしょぬれでした。

その時に作った雪だるまがこれ。
言うほど大きくないじゃん、と思うかもしれませんが、実は雪だるまは段差がある敷地の外側にあり、下部が30㎝くらい見えていないのです。

結構りっぱな雪だるまで、ローカル雑誌の記者が取材に来たりもしました。

この写真は雪が降った翌日ですかね。。


学童保育所には当時学校にあったのと同じように大きな黒い筒型の石油ストーブがおいてあり、そこで暖を取りながら手袋や靴下などを乾かしたのです。
全く同じものかわからないのですが、こんなイメージのストーブです。

pinterestより引用

ところで昔の新松戸学童保育所は新松戸4丁目254にありました。今は新松戸南小の敷地内に移ってしまったようですね。

<2007年頃の新松戸学童保育所のストリートビュー>



1984年の雪だるまの後ろに広がる雪原は当時まだ畑でした。
秋になるとさつまいも掘りなどをやらせてくれたのでした。

2007年のストリートビューでは砂利の空き地になってますね。。
今はサーバス新松戸というマンションが建っているようです。



この大雪は当時は結構な大事件で人が入れるカマクラなんて作ったのは初めて。
数日の間思い切り遊べたのでした。楽しい思い出です。


既にいいかんじのオジさんになり、当時の面影ございませんので顔出し上等でございます。


2017年3月5日日曜日

てんとう虫型レコードプレーヤーという懐かしいアイテム


70's~80'sはレコードの時代でした。
巷にはレコードショップやレコードレンタル店が結構あり、新松戸にも何店かありました。

今回は、そんな時代に活躍したてんとう虫型レコードプレーヤーのご紹介です。

このマシーンは日本コロムビア製のSE-8という機体なのですが、とにかく当時は広く普及した製品でした。

保育園の教室にはありましたし、お友達で持っている子も多かったやに思います。

それだけ普及していたためと思われますが30年以上が経過した現在でも使用できる状態の機体がヤフオクなどに数多く出品されておりまして、今回そんな一台を入手することに成功しました。

SE-8はかなりのロングセラー商品でもあったかと思いますが、今回手に入れたのは1979年製ということで比較的新しくきれいな機体です。


レコードを聴くのは何十年ぶりでしょうか。扱い方を完全に忘れており最初はおっかなびっくりの操作となりましたが、やってみると意外と良い音が出たので嬉しくなりました。

スピーカーやアンプが小さいので携帯ラジオのようなチャチな音ではあるのですが、それがまさに期待通り。
心地よい昭和な響きを奏で、この上ない良い味を出しています。

再生するレコードの方はといえば、これまたヤフオク等でかなりお安く買えます。
もはやレコードプレーヤーを持っている人など少数ですので、需給バランスが崩れており投げ売り状態なんですね。

で、大人買いしてみたのが以下の品々。

まずはピンクレディーのUFO。
これは説明が要らないくらい定番ですよね。
当時はどこに行っても、いつもこの曲が流れていました。


それから、これも定番の「およげ!たいやきくん」
ひらけ!ポンキッキ発の曲だったんですね。

自分もたいやきくんが大大大好きで、色々なグッズを持っていたものですが、中でも大事にしていたのがたいやきくんケシゴムでした。
ある時お風呂にいれて遊ぼうとしたところ、誤ってバスタブの裏側に落としてしまいロスト。そのまま海に逃げ込まれてしまったのです。
悲しかった。。


お次は鉄腕アトム。
「アストロボーイ、アストロボーイ、マイティーアトムー」という歌詞でおなじみの「未来に向って」が大好きでした。
1982年くらいですかね、リメイク&再放送が何回もされているうちの1つと思いますが、夕方に放映されていたのを観るのが楽しかったです。


次はデンジマン。
当時の男の子たちの胸を熱くした戦隊ものの走りですね。

あまりにキャッチ―なリズムの主題歌は一旦耳に入ってしまうと数日間は頭の中で反復再生されることとなります。
きわめて中毒性&依存性の強い曲です。


幼いころに聞いていた曲って、なんとも言えず心に響くんですよね。
うまいコーヒーを飲みながら聞くと至福のひと時が味わえます。

これだけ楽しめて、しかも安いってのがいいですよね。
レコードは絶対おススメです。

こんどはドラえもんでも買おうかな。ほんわかぱっぱ、ほんわかぱっぱ、のやつ久しぶりに聞きたいです。。

2017年2月19日日曜日

新松戸の変わらぬ風景①


遠い昔の1984年くらいには新松戸を出てしまったため今や新松戸に住んでいるわけでは全くないのですが、時間を見つけては散歩に行っています。

新松戸を散歩をしていると目まぐるしく変化する世の中にあっても当時とほとんど変わっていない風景を見つけることができるので心が和むんですよね。

今回は散歩中に撮ったそんな写真をアップしたいと思います。

最初の写真はサンライト6番街付近の武蔵野線のガードレール下です。
植え込みの緑がきれいですよね。
そう、ここは35年前から時が止まっているかのように変わらぬ風景です。

  

そういえば新松戸はプラタナスの並木が多いのですが、昔はよくアメリカシロヒトリという毛虫が大量発生して道端に落ちていたものです。
若い人には想像できないかもしれませんが、さながら人類vsアメリカシロヒトリの全面戦争と言っても過言ではないくらいでした。
いつのまにか人類の完全勝利で戦いが幕を降ろしていたのですね。最近では全く見かけないのではないでしょうか。

アメリカシロヒトリ(惚け爺のたわごとより引用)

下の写真は横須賀小学校の校舎です。校舎は昔とほとんど変わりません。
が、昔は校舎の向かって左側の端のあたりに大きな鳥小屋があって、インコや十姉妹やチャボ等が大量に飼われており、ピーチクパーチクと鳴き声が賑やかでした。
今は無くなってしまったのですかね。

あと、写真の左端のあたりの校庭には田んぼやアヤメ園がありました。
用水路のようなものも掘ってあり春から秋にかけてはいつも水が張ってあったのですね。
そこでは小さなゲンゴロウ、アメンボ、ミズスマシ、ヤゴなどがいたのを覚えています。
運が良いとミズカマキリもいました。
昼休みにはそれらを捕まえて遊んでいたものです。


下の写真はファミールの集会場付近です。
確か昔は集会所の一角にファミール歯科でしたっけ?歯医者さんが入っていたのですが、今はないようですね。
ここの集会所を使って保育所の子供が集まるクリスマスパーティーなどやっていました。
楽しい思い出がたくさんある施設です。

下の画像はファミールと教員住宅の間から見た夕焼けです。
この辺りはまだ高い建物がそれほどなく空が広いんですよね。
見る角度によってはかなりきれいな夕焼けを見ることができます。


教員住宅は既に住人はいないようですね。
取り壊しを待つばかりといったところでしょうか。
ここには保育所や学校の友達が何人か住んでいてよく遊びに行ったものです。
当時としても結構古い建物でしたから、築年数はゆうに50年を超えているかもしれないですね。



下の写真は市営住宅。同じく昔からある建物ですがまだバリバリ現役でございます。
今は薄緑色の外壁が昔はレトロポップなオレンジ色で、かわいい感じの外観でした。



下の写真は、武蔵野線と常磐線の接続線のガードレールです。
昔は排水が悪かったのですかね。大雨が降るとこのガードレールは完全に冠水してしまい車が通れなくなっていました。
普段使っている道が巨大な池になってしまうわけですから当時としても衝撃的な絵でした。


 今回はとりあえずこれでおしまいです。

まだとり貯めた写真があるので、懲りずにアップしたいと思います。




2017年2月8日水曜日

マックボールという懐かしいアイテム


マックボールってご存知でしょうか?

80年代前半に一時期けん玉が流行ったのですが、その流れに乗ってマクドナルドが販売していたポップな感じのプラスチック製のけん玉です。


当時は大変な人気で店頭でもなかなか手に入らないくらいでした。

CMもオンエアされておりまして、ナウいメリケンボーイズが同時にフリケンをキメるような映像だったかと記憶していますが、それも良かったのでしょうね。
いとも簡単に大技をキメるので、何か凄い仕掛けがあって誰でも簡単に高難度の技が繰り出せるかのような誤解を与えていたと思います。

→youtubeに当時のCMが転がっていました。。
マクドナルドCM集 ① 1980年代  McDonald's(japan)CM... 投稿者

小学生低学年の自分はこのポップなけん玉が欲しくてほしくてしょうがなかったのですが、なかなか店頭で見かける幸運に恵まれませんでした。

そして電話で在庫が確認できたあの日、両親に内緒で一人松戸のマクドナルドまで買いに行ったのでした。
新松戸から松戸だと3駅しかないのですが初めて一人で電車に乗った当時の自分としては結構な冒険だったと思います。
両親にばれたら怒られるのが分かっていますしね、罪悪感も相まってドキドキでした。

で、入手したものが冒頭の写真です。
入手した時は昇天しそうなくらい嬉しかったものです。

でもこれ、ことのほかボールがツルツルしていて灯台ができないですし、ケンと皿の重さのバランスが悪いんですよね。

かっこいいけど使いづらかったです。

さらには耐久性に難があり、いっぱい使っていると皿の部分が割れてくるんです。。
その後、店頭で見つけては買っていたので通算3つくらいはあったと思いますが、割れずに残っているのは1つだけ。

そんなマックボール、今オークションで買うと5000円くらいになるようです。

ちょっとしたお宝ですよね。
とっといてよかった。。


後日、実家に帰って屋根裏部屋を探索したところ、日本けん玉協会認定1級の証書が出てきました。
1級というのは、高難度の「灯台」という技を完璧に決める必要がありますので、さすがにマックボールを入手した小学校低学年の当時ではなく、少し時代が下った小学校高学年の時のものになります。


日本けん玉協会初代会長の藤原一生さんの認定ですので、保持していることがとても誇らしい一品になります。(中野サンプラザの認定会場で著書にサインを頂いたりもしました。)

ところで、Wikipediaによりますと、藤原一生さんは児童文学の作家が本職でいらっしゃったのですね。
今日まで知りませんでした。
映画「南極物語」の元となった「タロ・ジロは生きていた」を著作されたということで、今更ながら新たな発見に驚きました。

認定証は末永く大切にしようと思います。


=====2023年12月更新=====
最初にこの記事を書いてから5年以上の歳月が経ってしまいましたが、細々と収集していたマックボールを全色コンプリートすることができました。



最初の2~3色くらいはペース良く進んだのですが、後になるほど欲しい色がオークション等に出てくる確率が低くなり入手に多くの時間を要するようになってくるんですよね。

持ってない色だ!っと思って購入してみたら、複数色のマックボールから部品取りした「フランケン品」だったことも。良く調べてから買わないと引っ掛かります。

この度、一番左の紫&エメラルドグリーンの品を入手してやっとコンプリートの運びとなりました。

長い期間を要したので喜びもひとしお、ヤフオクやメルカリをモニタしなくてよくなったので、肩の荷が降りたような解放感もあります。

やはり全部並べてみると壮観ですよね。
大切に飾って保管したいと思います。