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2023年1月3日火曜日

昭和風ガチャガチャという懐かしいアイテム

殆どの日本人がガチャを回しながら育ったと言っても過言ではないと思います。

私も4歳くらいのときには、毎週金曜日に母から貰うお小遣いを握りしめて、当時新松戸コーポの駐車場内にあった中山酒店でガチャを回していたのを記憶しております。

目当ての景品は、主にウルトラマンの消しゴムや昭和レトロなキーホルダーなどでした。

あっという間に四十数年の年月が流れアラフィフになった私ですが、今は昭和50年代くらいのおもちゃを集めるのが趣味の一つになっております。

特に昭和レトロな小物類は安いこともあり、ついつい買い過ぎてしまいまして、 オモチャ棚がいっぱいになってしまいました。

小さめのキーホルダーやスーパーカー・ウルトラマン・ガンダム・キン肉マンの消しゴムなど、下の写真以外にもかなりの数があります。


新しいディスプレイ棚が欲しくなったのですが、どうせなら棚自体にも昭和レトロ感を出したいところですので、何がベストか考えて思いついたアイディアが「ガチャガチャマシーンを使う」というものでした。

元々ガチャの景品だったような品も多いので、ガチャガチャマシーンに入れるのであれば、こいつらにとっては里帰りのようなものかもしれません。

単にディスプレイするだけにとどまらない楽しさがあって、結構ナイスなアイディアじゃないですか!?

私が幼少の頃を過ごした40年前のあの時代に、どんなガチャガチャマシーンを使っていたか、正確には覚えていません。

今時オークションなどで手に入る昭和レトロ風なガチャガチャマシーンは「あミューズ」という会社の「ガチャコップ」という製品です。

あミューズの会社概要によりますと、ガチャコップの発売は2005年とのことですので、私が幼少の頃お小遣いを貰ってはレバーを回していた機種と違うことは確かなのでしょう。
でも、このマシンを見ると妙に懐かしい感じがしますので、1980年代のあの頃にも類似品があったのかもしれません。

早速、ガチャコップ2台と台座のセットをヤフオクで買って改造しました。

今回入手したガチャコップですが、長年屋外で風雨にされされていたらしく、かなりボロボロでした。

ガチャカプセルの取出し口が割れていたり、ペンキが剥がれていたり、台座のキャスターが錆びたりしています。
結構修理が大変そうですが、覚悟を決め、分解して修理していきます。

まずは、ガチャコップ本体を台座から外します。

鍵を開けて分解します。
上の写真で私が手に持っている金属製の部品を「コインメック」と呼ぶのだそうです。


100円玉を入れなくてもレバーを回せるようにするため、コインメックを分解して仕組みを調べます。


100円玉を入れてレバーを回すと、100円玉の丸い輪郭で留め金が押し上げられて、そのまま歯車が回転していきます。


100円玉が無い場合、留め金が降りて歯車に引っ掛かるので、歯車が回転できないのですね。
なるほどー。


留め金を摘出してしまいました。
これで、100円玉が無くても歯車が回転するようになりました。


必要なネジや外蓋をつけて、無限コインメックの完成です。

無限ガチャにするための改造が完了しましたので、あとは汚いところのリノベーションを行います。


まずは、サンダーでボロボロだったサーフェスを磨きます。
多分、前のオーナーがペンキを塗ったのだと思いますが、ザツな塗り方をしていたためか、表面がザラザラになって余計に汚くなっていました。
まあ、ビジネス目的でガチャを所持している場合は細かい点にこだわってられないのも致し方ないかもしれませんが、それにしても...


本体のガチャ玉取出し口の割れている部分をエポキシパテで補填します。
乾いたらやすりで平らに削ります。


タミヤのラッカースプレーでサーフェスを塗装します。

台座も錆びや汚れが目立ち、ひどい状態ですのでリノベーションが必要です。


ブラシドリルと掃除機で錆を落とします。


あらかた錆がけずれたら、残った錆はラストリムーバーを塗って落とします。
これ、初めて使ったのですが、不思議ですね。
塗ったところの錆が消えるように無くなっていくんです。。
ただ、ひどい錆には力不足ですので、大方は削っておく必要があります。


錆が落ちたら、ペンキを塗ります。
この台座は、元々白色だったんですね。。
錆を落とすためにドリルブラシで表面を削ったところ、黒い塗装の下から白い下地が出てきました。
きっと、これも前のオーナーが黒く塗ったのでしょうね。
錆の上からペンキを塗ってあり、やはりザツな感じでした。


キャスターも新しいものに取り換えます。


台座のリノベーションが完了しました。
表面がピカピカになり、キャスターもスルスルと滑らかに動きます。
やった!!

一応、ここまででガチャコップ本体と台座のリノベーションが完了したのですが、中に入れるガチャカプセルの準備も大切なので、忘れてはなりません。

最近のガチャカプセルは、昔のガチャカプセルと違ってサイズが大きかったり、半開きの作りになっているのですね。
せっかくですので、昭和風のガチャカプセルを入手して小物類を格納したいものです。


左側と真ん中の2つが今時のガチャカプセル、右側の1つが昭和風のガチャカプセルです。
色々調べたのですが、現在昭和風のガチャカプセルの新品を入手することはできないようです。(昭和風カプセルの規格は48mmです。)

時折、ヤフオクなどにデッドストック整理品等が景品が入った状態で出品されることがので、そのチャンスを逃さずにゲットする必要があります。
ただ、中身の景品を目当てにした入札者がライバルになりますので、それなりの価格になってしまいます。。


そんなわけで、かなりの工程を経てガチャコップのリノベーションと改造が完了しました。
昭和小物のコレクションを格納するには最適なこだわりの一品だと思います。

一連の作業の様子は動画にもまとめてありますので、是非ご覧ください。

2022年1月18日火曜日

昭和30年代初頭の流山の写真

今回は70~80年代の新松戸という趣旨からは少し外れてしまうのですが、以前飛び込みでお邪魔した老舗様からお借りした昭和30年代初頭の流山の写真をご紹介します。

自分が産まれるずっと前ですので、自ら語れることはほとんど無いのですが、貴重な資料と思いますので何か思い出やご存知のことがある方はコメント頂けますと幸いでございます。

撮影された方は既に他界されているとのことでしたが、写真の裏側には撮影した機材や日付、場所が記載されているものもあり、また展覧会で受賞したと思われるような記載もありますので、かなり本格的に写真を撮られていた方のようです。

1枚目は「東邦酒類株式会社 撮影日33.12 題名 運搬 佳作」と記載のあった作品です。


昭和33年といえば1958年のこと。Wikipediaによりますと、この年の出来事としては「東京タワー完工式」、「巨人・長嶋茂雄選手、4打席4三振デビュー」などが挙げられるようです。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中で東京タワーが完成しますので、ちょうどこの頃を扱った映画として当時の時代背景を想像するために助けになるかもしれません。


東邦酒類株式会社については流山市のホームページにかなり詳細な説明が記載されておます。一時は日本の5大酒造メーカーに名を連ねるほど大きな会社だったようですが、残念ながら経営悪化により昭和39年(1964年)に破綻し翌年1965年に現メルシャンに吸収合併されたことがWikipediaからわかります。

写真に写っているお酒の銘柄を読み取りたくて目を凝らしたのですが判読できませんでした。「東菊」というのが代表的な銘柄だったようですのが他にも銘柄があった可能性がありますので、判読できる方がおられたらコメントいただきたいです。

2枚目は「33.12.7 初冬於鰭ヶ崎」と記載のあった写真です。


写真では、農家の庭先で牛が繋がれている傍らで2人の子供が日向ぼっこをしています。
女の子が履いているのは下駄でしょうか。
寝転んでいる子供が何かチラシのようなものを見ていますが、何でしょうね。。
背後には布団のような布が干してあり、柿が実っています。
屋根は茅葺屋根でしょうか。温かみのある作品です。

3枚目は撮影場所や日時がわかるメモはありませんでしたが、水田を背景に中学生くらいの男の子が漫画を読みふける構図が魅力的な写真です。


写真を拡大して目を凝らすと、少年が腰かけている石碑には「第二区利水工事竣工記念」と刻まれていることがわかります。

少年の傍ら、一番手前に置いてある漫画には「まぼろし」という文字が見え、また眼鏡をかけた人物の右半身が描かれていることがわかます。また、少年のすぐ脇に積んである最上段の漫画も「さるとび佐助」という文字が読み取れ、その下に三角形のような絵が見えます。

そんな手掛かりを元ににネット上を調べたところ、両方とも具体的なタイトルが特定でき、なおかつオークションで入手することができました。



こんな昔のものが意外と少ない手掛かりを元に手に入るんですね。驚きました。
写真の中に手を入れて引っこ抜いてきたかのような不思議な感覚を覚えます。

いずれも背表紙に「昭和34年12月号ふろく」と記載されていますので、男の子が手にしている漫画は少年画報昭和34年(1959年)12月号の本体なのかもしれません。(本体の方はネット上で見つけることができませんでした。)

ところで、2枚目と3枚目の写真にはそれぞれ「Leica DⅢ Elmar 1:3.5 50mm」、「Leica Ⅲf Elmar F3.5 50mm」と記載がありまして、上から順に下記のようなカメラのようです。

DIGIREXより引用

しっかりと記録が記載されている資料というのは、色々なことが分かりますので、本当に貴重ですよね。

同時にお借りした写真の中にまだまだ魅力的なものが残っていますので、また折を見て紹介していきたいと思います。

2022年1月10日月曜日

ウルトラマシンという懐かしいアイテム

 ウルトラマシンというおもちゃをご存知でしょうか。

1968年発売の任天堂製のおもちゃですが、きっとロングセラーなのでしょう。70年代中盤うまれの私もなじみのあるおもちゃです。


このおもちゃ、自分も買って貰って持っていたようなのですが、タイミングが幼な過ぎて適合年齢に達していなかったのでしょう。全くもってこのおもちゃで遊んだ記憶がありません。

物心ついたときには、既に壊れた残骸のような状態でおもちゃ箱に入っていたのでした。

本体の残骸は間もなく捨てられてしまったのだと思いますが、卓球のボールをフニャフニャにしたような付属のボールと華奢なバットは、本体がなくなった後も、ずっとおもちゃ箱の中に残っていたのを覚えています。

今回ヤフオクで「動作未確認品」を格安でみつけまして、もしかしたら動作するかもという淡い期待を込めて購入したのですが、例のごとく壊れていて動作しませんでした。

テスターで調べてみますと、配線は問題なさそう。。

ということはモーターが壊れているのでしょう。

やむなく、分解して修理することに。。

外枠を外すのは手でネジを回すだけで結構簡単でした。

モーターは金属のシャーシに収められていまして、蓋を開ける必要があるのですが爪でがっちり留めてありまして、開けるためには爪を起こす必要があります。

マイナスの精密ドライバーを差し込むのが良いと思います。


シャーシの中身はモーターと歯車が3つ。
単純な仕組みですね。
モーターのシャフトに直接ついている緑色の小さな歯車が見えますか?
この部品は割れていたので交換が必要でした。秋葉原の千石電商などで購入可能ですが、今回はくるくるテレビを修理した時の予備が自宅にあったのでそれを流用しました。


取り外したモーターですが、少し珍しいタイプです。
シャフトが通常と逆側に伸びているんですね。
どちらが前なのか後ろなのかわかりませんが、このモーターのシャフトが頭側から伸びているとすれば、お尻側から伸びているのが普通なんですね。


秋葉原の千石電商で探しましたところ、使えそうなのはタミヤのミニ四駆用モーターで、トルクチューン2モーターPROだけでした。

このモーターは頭側とお尻側の両方からシャフトが伸びているんですね。


頭側にシャフトが伸びているのは有難いのですが、お尻側のシャフトが出ているとシャーシ内に収まりませんので、ダイヤモンドカッターでお尻側のシャフトを切断します。


そしてリード線を半田付けします。


元々は1.5Vの単1乾電池を入れる仕様なのですが、トルクチューン2モーターProは1.5Vでは動作しませんので携帯電話の充電器から電源をとるようにします。
以前、くるくるテレビを修正した時に作成したスピードコントローラをそのまま使います。


モーターを台座にはめ込んだら、シャーシに収めます。
多分、全工程で最も難易度が高い工程かもしれません。。
モーターと3つの歯車のシャフトがぐらぐら動くのでシャーシの本体と蓋の両側にあるホールに同時に差し込むのが難しいのですが、とりあえず本体のホールの方にだけ刺さったら蓋を閉めてしまい、後からピンセットでシャフトをずらしながら蓋側のホールに差し込むのがコツです。


シャーシの蓋が閉まったら外枠を組み立てます。


外枠のネジを絞めたら完成です。


スイッチを入れてボールを投げさせてみましょう!


ビュン!結構な速度のボールを投げてきます。


うちの8歳児に見せたら痛く気に入りまして、何時間にも渡りボールを投げさせてはバットを振り回しておりました。。

一連の修理の様子を動画にしましたので是非ご覧ください!


最近、動画編集を始めましてDavinci Resolveを勉強しております。
まだまだ未熟ですが、なつかしさ溢れるレトロ関連動画を作っていきたいです。

2021年2月23日火曜日

切手という懐かしいアイテム

私が小学校に上がった1980年代初頭は今ほど多種多様な趣味や娯楽などはなく、1億の日本国民がみんな同じ趣味を一斉に楽しんでいたような時代でした。

切手収集というのはその最たるものでして、大人も子供もかなりの人がこぞって切手をあつめておりました。

今ではヤフオクなどで探せば数百円で手に入る切手趣味週間シリーズの記念切手ですが、当時はコレクター垂涎の的でして「月と雁」や「見返り美人」などは1枚で2万円~3万円の値段がついていたのを覚えています。

左から「月と雁」、「見返り美人」、「ビードロを吹く娘」、「写楽の市川海老蔵」

お金のない小学校低学年生には全く手の届かない存在で、切手カタログを見てはため息をつくばかり。。友達の親に「ビードロを吹く娘」を見せてもらって感嘆の声を上げたりしていました。

そんな切手ですが、今では当時からすれば信じられないくらい安値になってしまい、いくら買ってもほとんど懐が痛まないチープな趣味に変貌しました。。

1980年代後半のバブル期以降、もっと面白い趣味や娯楽が次々と登場したことで切手のコレクション人口が急激に減ったのが大きな要因なのでしょうが、宅配便や電子メールなどの普及により切手自体が身近なものではなくなってきたことも要因かもしれません。

1980年代初頭の当時、小学校低学年だった私がどのように切手を手に入れていたかといえば、基本的には郵便局に行って記念切手の発売日を調べ、親に頼んでおくんです。

そうすると親が通勤前に朝一で新松戸郵便局に行ってくれまして、購入しておいてくれました。

というのも、人気のある記念切手の発売日には郵便局には早朝から行列ができ、郵便局のオープンまもなく売り切れてしまっていたんですね。

当時は記念切手を持っておけば将来すごく値上がりして高値で売れると考えられる風潮がありましたので、財テク兼ねてシート買いする人も多かったのだと思います。

そんなわけで小学生が放課後に郵便局に行っても記念切手の入手は不可能だったのです。

Googleストリートビューから引用:2011年4月頃の新松戸郵便局

その時入手した記念切手は実家に行けばまだ残っていると思いますが、探しに行くのも面倒なので改めて近くの古銭屋さんで購入してしまいました。

どれも懐かしいですが、やはり1982年の東北新幹線開通記念、上越新幹線開通記念を入手した時が嬉しかったのを覚えています。

下の写真は上野動物園開園100周年記念。

今となっては、もうすぐ140年にんるんですよね。

って、あれから40年!?

時が経つのは早いものです。。


下の写真は竜切手モチーフの東京国際切手展記念。
これも当時入手した時に嬉しかったのを覚えています。

あと、地味ではありますが普通切手も侮れません。。

普通切手はありふれた存在ですので普段あまり気にせず使っていますが、気づかないうちに図案が変わっていくのですよね。

40年の歳月を経て普通切手も幾度となく図案や額面が変わったのでしょうが、その変遷は全く覚えていません。

切手に興味があった80年代当時の図案だけが記憶に残っていて、見ると強烈な懐かしさがこみ上げてくるのです。

中途半端な1ケタ台の額面の切手がありますが、当時はまだ消費税の導入前ですし最安の定形郵便は60円でしたので、何に使っていたのかよく分かりません。

ところで、未使用の切手は郵便局で購入するわけですが、子供達にはもう一つ切手の入手方法がありました。

駄菓子屋さんに行くと下の写真のような袋くじがありまして、20円ほど支払うと袋くじを1回引くことができるんですね。

引いた紙袋の中に切手が入っているのですが、開けてみるまで中身が見えないのでどんな切手が入っているか分からないようになっています。

ほとんどの場合は価値のないありふれた使用済み切手が出てきてガッカリすることとなりますが、ごく稀に使用済みではあるものの「写楽」などが出ることがあるためワクワク感がたまらず、かなりのお小遣いを使ったものです。


切手の袋くじは当時新松戸4丁目にあった「大倉屋商店」という酒屋さんで主に引いておりました。

「大倉屋商店」は酒屋さんなのですが駄菓子類も充実しておりまして、切手の袋くじ以外にもいろいろなお菓子を購入させていただいておりました。

残念ながら2年ほど前に惜しまれつつ閉店してしまったようです。

幼少の時通った思い出深いお店がなくなるというのは寂しいものですよね。

Googleストリートビューより引用:2011年4月頃の大倉屋酒店

昔集めた切手をまだお持ちの方は多いんじゃないですかね?

これを機に収集再開してみてはいかがでしょうか。。



2020年11月10日火曜日

1976年、1985年の新松戸の風景が見られる凄い動画

 先日、Youtubeですごい動画を2本見つけましたのでご紹介いたします。

それぞれ1976年、1985年のいずれも流山電鉄の走行シーンなどを主眼に撮影されたものなのですが、その背後に映り込んだ背景やついでに映されたと思しき何気ない風景が素晴らしいのです。























特に1976年(昭和51年)の映像はクリアかつ編集も完璧!重ね重ね素晴らしい映像です。
自分が特に感動したのは下記のシーンです。


ちょうどこの年に2歳の自分が住むことになる新松戸コーポがこのときはまだ建設中で、作業用の足場がとれていないんです。

そして見覚えのあるこの石碑。いつのまに無くなったものやら、自分が小学校に上がるくらいまではあったと思うのですが、確かにこんなものがそびえたっていました。
「小金土地改良~」下のほうがススキに隠れて読めません。。
→どなたか解読可能な方、コメントください!

もう一つ深く感動したのが、下の木橋が映ったシーン。
これ、新坂川に架かっていたのですが、再び目の当たりにできるとは思ってもいませんでした。


自分がこの木橋を渡ったのはこの映像の数年後、橋はこれに輪をかけてボロくなっており今にも落ちそうな感じでした。材木ももっと黒っぽく変色していたと思います。(→注)

まだ幼く体が小さかったためでしょうか、おっかなびっくり渡ると新坂川の川面が遥か下方に見えてとても怖かったものですが、実際のところ高さはこんなもんだったのですね。。

80年代初頭は全国的に環境汚染が深刻な時期でしたから新坂川も物凄く汚かったんです。
なにやら得体のしれない緑黒いヘドロのような浮遊物がいつもゆったりと川面を流れており水も緑グレーに濁って川底が見えませんでした。

それも恐怖感を増幅させたのでしょうね。

この橋は生活で使っていた方々もおられたのでしょうが、子供達にとっては単なる度胸試し専用でしかございません。
中には渡りながら飛び跳ねたりワザと揺らしたりなどハードなプレイをする子も。

自分は橋を渡った武勇伝を両親に語り、二度とそんな危ないことをするなと思いっきり叱責されたのでした。

宅地化で子供がどんどん増えていた新松戸にあってはさすがにこんな危険なものが長く放置されるはずもなく、そのうち撤去されてしまったのでした。

位置関係としては下記の地図の通りとなります。

お次は1985年の映像からのショットになります。



中央付近に映る流山線の車両に目が行ってしまいがちですが、自分が注目したのは画面右端の方に見える黄色と赤のアーケードです。

看板に「パン」の文字がかろうじて読めますが、こちらパン屋の「ハンス」です。

店の真ん前に駐車車両があるのは、このころはもうハンスが小金中学校の前に移転してしまっていたからと思いますが、80年代初頭にはハンスは2店舗を構えておりこちらの店が本店でした。

おやつにちょうど良い大きさのプチパン、ふわふわのイギリスパンなど焼きたてのパンがとてもおいしく、当時絶大な人気を誇ったドラえもんなどのキャラパンも売っていて楽しいお店でした。ちなみにドラえもんパンの鼻は赤く着色されたチェリーでできていました。

奥の緑のアーケードは私の記憶が正しければ「ゴルフショップ大木」、流山線車両左側の赤いアーケードは「スナックしろあと」です。

これまでYoutubeはノーマークでしたので、こんな素晴らしい映像があることに驚くとともに感動いたしました。
動画をアップしてくださった方に心からお礼申し上げたいです。

(注)
後日、松戸市立図書館の本館で「写真アルバム松戸市の昭和」という資料を見ていたところ、昭和63年(1988年)の木橋の写真を見つけました。


昭和51年シネスコ版の映像よりも新坂川の護岸が高くなっており、木橋も高い位置に架かっているように見えます。
こちらの光景の方が自分の記憶と符合しますので、恐らく昭和51年から数年後に護岸工事が行われその時に木橋も架け替えられたのでしょうね。。