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2017年5月5日金曜日

1984年1月19日の大雪


1984年1月19日は大雪でした。新松戸でも積雪が20センチを超えたのです。

自分は当時3年生だったのですが、かぎっ子で学童保育所に通っていました。
当日は昼頃から雪が降り始めたと記憶していますが、未だかつて経験したことのないような積もり方で、学校から学童保育所への下校中に雪玉を転がして帰りました。

雪玉の直径が1メートルを超えるとかなり転がすのがきつくなり、休み休みかなりの時間をかけて押して行きましたが、後から来る子供達や近所の主婦にも手伝ってもらい、何とか学童保育所にまで転がして帰ることができたのです。
着いた時には手袋も通水していて手が氷のように冷たくなり、靴もびしょぬれでした。

その時に作った雪だるまがこれ。
言うほど大きくないじゃん、と思うかもしれませんが、実は雪だるまは段差がある敷地の外側にあり、下部が30㎝くらい見えていないのです。

結構りっぱな雪だるまで、ローカル雑誌の記者が取材に来たりもしました。

この写真は雪が降った翌日ですかね。。


学童保育所には当時学校にあったのと同じように大きな黒い筒型の石油ストーブがおいてあり、そこで暖を取りながら手袋や靴下などを乾かしたのです。
全く同じものかわからないのですが、こんなイメージのストーブです。

pinterestより引用

ところで昔の新松戸学童保育所は新松戸4丁目254にありました。今は新松戸南小の敷地内に移ってしまったようですね。

<2007年頃の新松戸学童保育所のストリートビュー>



1984年の雪だるまの後ろに広がる雪原は当時まだ畑でした。
秋になるとさつまいも掘りなどをやらせてくれたのでした。

2007年のストリートビューでは砂利の空き地になってますね。。
今はサーバス新松戸というマンションが建っているようです。



この大雪は当時は結構な大事件で人が入れるカマクラなんて作ったのは初めて。
数日の間思い切り遊べたのでした。楽しい思い出です。


既にいいかんじのオジさんになり、当時の面影ございませんので顔出し上等でございます。


2017年3月5日日曜日

てんとう虫型レコードプレーヤーという懐かしいアイテム


70's~80'sはレコードの時代でした。
巷にはレコードショップやレコードレンタル店が結構あり、新松戸にも何店かありました。

今回は、そんな時代に活躍したてんとう虫型レコードプレーヤーのご紹介です。

このマシーンは日本コロムビア製のSE-8という機体なのですが、とにかく当時は広く普及した製品でした。

保育園の教室にはありましたし、お友達で持っている子も多かったやに思います。

それだけ普及していたためと思われますが30年以上が経過した現在でも使用できる状態の機体がヤフオクなどに数多く出品されておりまして、今回そんな一台を入手することに成功しました。

SE-8はかなりのロングセラー商品でもあったかと思いますが、今回手に入れたのは1979年製ということで比較的新しくきれいな機体です。


レコードを聴くのは何十年ぶりでしょうか。扱い方を完全に忘れており最初はおっかなびっくりの操作となりましたが、やってみると意外と良い音が出たので嬉しくなりました。

スピーカーやアンプが小さいので携帯ラジオのようなチャチな音ではあるのですが、それがまさに期待通り。
心地よい昭和な響きを奏で、この上ない良い味を出しています。

再生するレコードの方はといえば、これまたヤフオク等でかなりお安く買えます。
もはやレコードプレーヤーを持っている人など少数ですので、需給バランスが崩れており投げ売り状態なんですね。

で、大人買いしてみたのが以下の品々。

まずはピンクレディーのUFO。
これは説明が要らないくらい定番ですよね。
当時はどこに行っても、いつもこの曲が流れていました。


それから、これも定番の「およげ!たいやきくん」
ひらけ!ポンキッキ発の曲だったんですね。

自分もたいやきくんが大大大好きで、色々なグッズを持っていたものですが、中でも大事にしていたのがたいやきくんケシゴムでした。
ある時お風呂にいれて遊ぼうとしたところ、誤ってバスタブの裏側に落としてしまいロスト。そのまま海に逃げ込まれてしまったのです。
悲しかった。。


お次は鉄腕アトム。
「アストロボーイ、アストロボーイ、マイティーアトムー」という歌詞でおなじみの「未来に向って」が大好きでした。
1982年くらいですかね、リメイク&再放送が何回もされているうちの1つと思いますが、夕方に放映されていたのを観るのが楽しかったです。


次はデンジマン。
当時の男の子たちの胸を熱くした戦隊ものの走りですね。

あまりにキャッチ―なリズムの主題歌は一旦耳に入ってしまうと数日間は頭の中で反復再生されることとなります。
きわめて中毒性&依存性の強い曲です。


幼いころに聞いていた曲って、なんとも言えず心に響くんですよね。
うまいコーヒーを飲みながら聞くと至福のひと時が味わえます。

これだけ楽しめて、しかも安いってのがいいですよね。
レコードは絶対おススメです。

こんどはドラえもんでも買おうかな。ほんわかぱっぱ、ほんわかぱっぱ、のやつ久しぶりに聞きたいです。。

2017年2月19日日曜日

新松戸の変わらぬ風景①


遠い昔の1984年くらいには新松戸を出てしまったため今や新松戸に住んでいるわけでは全くないのですが、時間を見つけては散歩に行っています。

新松戸を散歩をしていると目まぐるしく変化する世の中にあっても当時とほとんど変わっていない風景を見つけることができるので心が和むんですよね。

今回は散歩中に撮ったそんな写真をアップしたいと思います。

最初の写真はサンライト6番街付近の武蔵野線のガードレール下です。
植え込みの緑がきれいですよね。
そう、ここは35年前から時が止まっているかのように変わらぬ風景です。

  

そういえば新松戸はプラタナスの並木が多いのですが、昔はよくアメリカシロヒトリという毛虫が大量発生して道端に落ちていたものです。
若い人には想像できないかもしれませんが、さながら人類vsアメリカシロヒトリの全面戦争と言っても過言ではないくらいでした。
いつのまにか人類の完全勝利で戦いが幕を降ろしていたのですね。最近では全く見かけないのではないでしょうか。

アメリカシロヒトリ(惚け爺のたわごとより引用)

下の写真は横須賀小学校の校舎です。校舎は昔とほとんど変わりません。
が、昔は校舎の向かって左側の端のあたりに大きな鳥小屋があって、インコや十姉妹やチャボ等が大量に飼われており、ピーチクパーチクと鳴き声が賑やかでした。
今は無くなってしまったのですかね。

あと、写真の左端のあたりの校庭には田んぼやアヤメ園がありました。
用水路のようなものも掘ってあり春から秋にかけてはいつも水が張ってあったのですね。
そこでは小さなゲンゴロウ、アメンボ、ミズスマシ、ヤゴなどがいたのを覚えています。
運が良いとミズカマキリもいました。
昼休みにはそれらを捕まえて遊んでいたものです。


下の写真はファミールの集会場付近です。
確か昔は集会所の一角にファミール歯科でしたっけ?歯医者さんが入っていたのですが、今はないようですね。
ここの集会所を使って保育所の子供が集まるクリスマスパーティーなどやっていました。
楽しい思い出がたくさんある施設です。

下の画像はファミールと教員住宅の間から見た夕焼けです。
この辺りはまだ高い建物がそれほどなく空が広いんですよね。
見る角度によってはかなりきれいな夕焼けを見ることができます。


教員住宅は既に住人はいないようですね。
取り壊しを待つばかりといったところでしょうか。
ここには保育所や学校の友達が何人か住んでいてよく遊びに行ったものです。
当時としても結構古い建物でしたから、築年数はゆうに50年を超えているかもしれないですね。



下の写真は市営住宅。同じく昔からある建物ですがまだバリバリ現役でございます。
今は薄緑色の外壁が昔はレトロポップなオレンジ色で、かわいい感じの外観でした。



下の写真は、武蔵野線と常磐線の接続線のガードレールです。
昔は排水が悪かったのですかね。大雨が降るとこのガードレールは完全に冠水してしまい車が通れなくなっていました。
普段使っている道が巨大な池になってしまうわけですから当時としても衝撃的な絵でした。


 今回はとりあえずこれでおしまいです。

まだとり貯めた写真があるので、懲りずにアップしたいと思います。




2017年2月8日水曜日

マックボールという懐かしいアイテム


マックボールってご存知でしょうか?

80年代前半に一時期けん玉が流行ったのですが、その流れに乗ってマクドナルドが販売していたポップな感じのプラスチック製のけん玉です。


当時は大変な人気で店頭でもなかなか手に入らないくらいでした。

CMもオンエアされておりまして、ナウいメリケンボーイズが同時にフリケンをキメるような映像だったかと記憶していますが、それも良かったのでしょうね。
いとも簡単に大技をキメるので、何か凄い仕掛けがあって誰でも簡単に高難度の技が繰り出せるかのような誤解を与えていたと思います。

→youtubeに当時のCMが転がっていました。。
マクドナルドCM集 ① 1980年代  McDonald's(japan)CM... 投稿者

小学生低学年の自分はこのポップなけん玉が欲しくてほしくてしょうがなかったのですが、なかなか店頭で見かける幸運に恵まれませんでした。

そして電話で在庫が確認できたあの日、両親に内緒で一人松戸のマクドナルドまで買いに行ったのでした。
新松戸から松戸だと3駅しかないのですが初めて一人で電車に乗った当時の自分としては結構な冒険だったと思います。
両親にばれたら怒られるのが分かっていますしね、罪悪感も相まってドキドキでした。

で、入手したものが冒頭の写真です。
入手した時は昇天しそうなくらい嬉しかったものです。

でもこれ、ことのほかボールがツルツルしていて灯台ができないですし、ケンと皿の重さのバランスが悪いんですよね。

かっこいいけど使いづらかったです。

さらには耐久性に難があり、いっぱい使っていると皿の部分が割れてくるんです。。
その後、店頭で見つけては買っていたので通算3つくらいはあったと思いますが、割れずに残っているのは1つだけ。

そんなマックボール、今オークションで買うと5000円くらいになるようです。

ちょっとしたお宝ですよね。
とっといてよかった。。


後日、実家に帰って屋根裏部屋を探索したところ、日本けん玉協会認定1級の証書が出てきました。
1級というのは、高難度の「灯台」という技を完璧に決める必要がありますので、さすがにマックボールを入手した小学校低学年の当時ではなく、少し時代が下った小学校高学年の時のものになります。


日本けん玉協会初代会長の藤原一生さんの認定ですので、保持していることがとても誇らしい一品になります。(中野サンプラザの認定会場で著書にサインを頂いたりもしました。)

ところで、Wikipediaによりますと、藤原一生さんは児童文学の作家が本職でいらっしゃったのですね。
今日まで知りませんでした。
映画「南極物語」の元となった「タロ・ジロは生きていた」を著作されたということで、今更ながら新たな発見に驚きました。

認定証は末永く大切にしようと思います。


=====2023年12月更新=====
最初にこの記事を書いてから5年以上の歳月が経ってしまいましたが、細々と収集していたマックボールを全色コンプリートすることができました。



最初の2~3色くらいはペース良く進んだのですが、後になるほど欲しい色がオークション等に出てくる確率が低くなり入手に多くの時間を要するようになってくるんですよね。

持ってない色だ!っと思って購入してみたら、複数色のマックボールから部品取りした「フランケン品」だったことも。良く調べてから買わないと引っ掛かります。

この度、一番左の紫&エメラルドグリーンの品を入手してやっとコンプリートの運びとなりました。

長い期間を要したので喜びもひとしお、ヤフオクやメルカリをモニタしなくてよくなったので、肩の荷が降りたような解放感もあります。

やはり全部並べてみると壮観ですよね。
大切に飾って保管したいと思います。

2017年1月29日日曜日

1977年頃の松戸駅と伊勢丹


若干新松戸ではないのですが1977年頃の松戸駅と伊勢丹の写真が見つかりましたので投稿しておきます。


103系の緑の電車、懐かしいですね。窓全開。
この頃は電車にエアコンなど無かったのです。

写っている親子は私と母です。 母は他界し私もすっかりおじさんですので顔出し上等です。。
写真に写っている私、服を着ていないように見えますが一応着てるんですよ~。
今でも覚えています。あのベージュ色のランニングシャツ。写真は色あせてしまったのですかね。もうちょっとモスグリーンっぽい色だったと記憶しています。


松戸の伊勢丹がオープンしたは1975年ということですからこの頃はまだ2年目なのですね。

この頃はまだ新松戸ダイエーなどありませんでしたから、何か日用品以外の買い物があると松戸の伊勢丹によく行ったものです。

後ろに見える緑の円筒形の構造物は何だったんですかね。
特徴的な物体でした。薄れゆく記憶をたどるに、あの根本付近に噴水があったかもしれません。。

当時、伊勢丹は活気があって子供をワクワクさせる雰囲気がありました。
伊勢丹の一階でペロペロキャンディーを買ってもらったり、おもちゃ屋でラジコンを買ってもらったのが良い思い出です。


2016年12月23日金曜日

牛乳キャップという懐かしいアイテム


80年代に流行った牛乳キャップ集めに最近あらためてはまっています。

当時集めていたものは友人宅に忘れたまま別の子に持っていかれて失われてしまったのですが、最近はYahoo!やメルカリで検索するとかなりの数が出品されていますのでそれらを購入することで収集可能なのですね。

値段は数百円~数万円と幅があります。

自分は貴重な銘柄をコンプリートするつもりはないのですが、当時持っていたものを完全に取り戻すことをゴールに決め頑張っております。

で、集めたもののほんの一部がこちら。↓

約3年間のコレクション歴ですが当時持っていたものは全部ではありませんが、かなり取り戻しました。
この写真に写っているものだけでけっこうな金額がかかったのですが、でもまあ呑みに行く回数を減らせば容易に捻出できてしまう額です。

でも、当時のコレクションの中には相当希少なものもあり、そんなやつらはどうしてもオークションでお目にかかれません。今持っていたとしたら数万円の値段が付くものもあったんだろうなぁと思います。

できることならあの日に戻り、友人宅から帰ろうとする子供の自分に「何か大事な物忘れてないかい?」と囁いてやりたい。。

ところで当時横須賀小学校の給食で出されていた牛乳は雪印牛乳(写真の最右列、上から4番目の青いキャップ)でした。
途中で保証牛乳(写真の右から3列目、上から2番目の赤いキャップ)に変わったのを覚えています。

保証乳業は工場が松戸にあったのですがもう潰れてしまったようですね。
最近ではキャップもプラスチック製に変わり、紙のキャップは殆ど見かけなくなりました。
残念な流れではあるもののやむないことではあるので、せめて今あるものだけでも大事に愛でたいと思います。


2016年7月9日土曜日

1976年頃の新松戸パノラマ写真


実家で見つけた新松戸の写真の中で最も希少価値のありそうなものを公開いたします。
1976年晩秋~1977年早春に撮られたと思われる新松戸のパノラマ写真です。
新松戸コーポ7Fベランダからの撮影になります。

画像クリックで拡大↓

まだこの頃は見渡す限り原っぱで、本当に何もありませんよね。
サンライト1番街ですらまだ存在しません。

この頃は、道もそこらじゅうがまだ舗装されていなくて砂利道でした。
車が通るとタイヤが砂利をはじくボコボコボコってゆう音がしますし、雨が降れば道の轍に沿って大きな水たまりが沢山出現し、長靴が必須だったんですよー。

こんな貴重な写真を撮影してくれた母に感謝です。

上の写真の時期より少し前になりますが、国土地理院に1975年1月の航空写真がありましたのでご紹介します。
下方にある赤丸が上の写真の撮影地点です。(上が南、下が北)


もう一つご紹介。
似たようなことを考える人はいるものでして、他にもパノラマ写真を撮られた方がいたようです。
以前、新松戸の地域情報を発信されていた「しんまつどドットコム」様に掲載されていた写真を頂きました。



こちらも恐らく1976年か1977年の春に新松戸コーポから撮影されたものと思われます。
北側の風景も収められています。

もう一つ、これも「しんまつどドットコム」様からの頂き物になりますが、1970年に馬橋側から新松戸方面を撮影したパノラマ写真をご紹介します。

まだ武蔵野線や武蔵野線と常磐線上野方面を結ぶ貨物船がが工事中であることが分かります。

いずれも新松戸の黎明期の様子がわかる貴重な写真ですよね。
いくら見ても見飽きません。