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2020年5月17日日曜日

ガッチャスパルタンの超合金という懐かしいアイテム


科学忍者隊ガッチャマンといえば自分の世代で知らない人がいないくらいのスーパーヒーローですが、放映時に幼かった自分は「チームの仲間が力を合わせて悪い敵をやっつける」くらいの超ざっくりとしたストーリー展開しか覚えていません。

長い放映期間中に主題歌や登場するメカなどが変わったのは認識していたのですが、改めてWikipediaで調べますとガッチャマンには3シリーズあったことがわかりました。

科学忍者隊ガッチャマン   1972年10月~1974年9月
科学忍者隊ガッチャマンII   1978年10月~1979年9月
科学忍者隊ガッチャマンF   1979年10月~1980年8月

初代のガッチャマン放送時には私は生まれていなかったのですが「誰だ 誰だ 誰だ~」というオープニングの歌をきわめてはっきり覚えており、保育園の友達と替え歌にして歌っていたことすら覚えているのが不思議です。

ネット上に情報はなかったのですが、初代ガッチャマン終了からガッチャマンⅡ開始まで4年間も空いていますので、もしかしたらガッチャマンⅡの直前くらいに初代ガッチャマンの再放送があったのかもしれません。



一連のガッチャマンシリーズが放映されてたのは日曜の18:00~18:30でして、私を含め友人たちはこのアニメが始まるのに合わせて遊びを切り上げて帰宅したものです。

ガッチャマンシリーズを観終わると晩御飯を頂き、19:30から世界名作劇場シリーズ(赤毛のアン、トムソーヤの冒険など)を見て週末を締めくくるのがお決まりのパターンでした。

今と変わらず19:00からさざえさんが放映されていたのですが、ちょうど晩御飯と重なるので最初だけとか最後だけとか中途半端にしか見れないことが多かったように思います。

さて、前置きが長くなりましたが今回の主題はガッチャマンFに登場するGメカのガッチャスパルタンです。
当時5歳~6歳だった自分は主題歌やGメカの合体シーンなどしか覚えていないのですが、このメカは本当にかっこいいと思っていました。

今だに人気があるのか、当時の超合金のおもちゃがオークションに出てくると結構な高値が付くんですね。
こんな高値なおもちゃに手を出すのは転売ヤーか自分を含めてかなり思い入れのあるコアな人物だけだと思います。
数年モニタしていたのですがお安く手に入れる方法がなさそうでしたので、この度思い切って真向勝負を挑み、購入してしまいました。

劇中ではガッチャマン1号~5号が出動する時はそれぞれのGメカに乗って基地から飛び立ちます。
そう、こんな感じに分離した状態で飛んでいくのです。


で、敵と戦うときは合体して下のような形になるんです。
三角形のフォルムが最高にカッコいい!



5機のカラフルな子機が合体して最終形になるという発想が素晴らしいですよね。

当時、友達の家にコレがありまして、凄くカッコいいなーと垂涎の思いで眺めていたのですが、遂に自らの手中には収めることができず、40年を経てからようやくの満願成就となりました。

ところで、時代が少し下りますが1986年に発売されたファミコンソフトで「テラクレスタ」というシューティングゲームがありまして、メカの設定やデザイン、音楽など全て素晴らしく、当時はみんな結構ハマっておりました。

引用:EGG

スタート時に操作する機体は1号機でして、敵を倒しながら前進していくと2号機~5号機が順次出現、合体してパワーアップして行くんです。
無傷で1号機~5号機が合体できますと一定時間「火の鳥」になって無敵状態になります。

引用:EGG

ゲームをやっている当時から、なんかガッチャマンのメカと発想が被るなぁと思っていたのですが、WikiPediaによるとガッチャマンのメカをオマージュして機体のデザインをしたとの記載がありました。
やはりか。
火の鳥になるのは初代ガッチャマン、5機が合体するというのはガッチャマンFをヒントにしたのかもしれませんね。

ところで、ヤフオクなどを探したところ、ありました。テラクレスタのおもちゃ。
超合金ではなくプラスチックでできているためかガッチャスパルタンほど値の張るものではなかったので買っちゃいました。


かっこええ。。
分離してフォーメーション攻撃の体制をとることもできます。


ガッチャスパルタンといいテラクレスタといい、5機が合体してパワーアップするという考え方が凄くいいんです。

このパターンは普遍的なカッコよさを有していると言っても過言ではないでしょう。

今回入手したおもちゃは末永く大事に飾っておきたいと思います。




2020年4月12日日曜日

カブトムシくんチョコのオマケという懐かしいアイテム


今でこそ外国産カブトムシは巷にあふれており、シーズン時期にはホームセンターなどでも売られていることがありますが、外国産カブトムシの輸入が認められたのは1999年のこと。

私が幼少期を過ごした1970~80年代には外国産カブトムシは図鑑の写真や博物館の標本でだけお目にかかれる憧れの存在だったのです。

1981年といえば私が小学校1年生のころ、「カブトムシくんチョコ」なるお菓子が明治製菓より販売されていました。
お菓子自体は今でいうと森永チョコボールのようなものだったと記憶していますが、オマケとしてカブトムシのおもちゃが付属していてそちらの方をめあてにいっぱい購入したのでした。

この度そんなオマケのおもちゃをヤフオクで入手することができましたのでご紹介します。
写真上段の4体のフィギュアがカブトムシくんチョコのおまけです。
黒いプラスチック製でして、上から押して暫く待つとパチっと跳ねるしろものです。


これ、お菓子を開封してみるまでどの種類のカブトムシが入っているか分からないので結構被るんですが、ガチャガチャのようなドキドキ感もあってはまってしまったのですね。
お小遣いを握りしめて新松戸コーポ下にあった中山酒店に通っていました。

写真下段の3体のクワガタムシは、クワガタくんスナックという別のお菓子のおまけなのですが、こちらの方は中山酒店で売っておらず、田舎の従兄弟の家に遊びにいったときによく購入していました。

どちらもマイブームに過ぎなかったのか或いは広く流行っていたかは分からないのですが、40年近くを経てからヤフオクに出品があるくらいだからそれなりに売れていたのでしょう。

パッケージデザインを思い出したくてネットを検索したところ、不鮮明ながら画像を見つけることが出来ました。確かにこんな赤い箱でした!(引用元


クワガタくんスナックの方も見つけました。(引用元


話は変わりますが、昆虫関連でもう一つ懐かしアイテムをヤフオクで見つけたので、これまた購入しました。
「昆虫採集セット」なるグッズでして、夏休みの宿題などで昆虫標本を作るために使う道具です。
当時はそこらの文房具店で売っていまして、きっとお高いものではなかったのでしょう、私も買って貰ったのでした。


注射+へら+虫眼鏡+防腐剤(緑)+殺虫剤(赤)のセットです。
上蓋の説明書によると防腐剤と殺虫剤は練習用とのことで99%の水と1%のエタノールが混ぜてあるだけのようです。
な~んだ、知ってみると大したものではないですね。
当時は赤と緑の液体がそんなトータリーセーフなリキッドなどとは知りませんでしたので、ものすごい猛毒が入っているような恐怖感があり、おっかなびっくり扱った記憶があります。

ある時大切に飼っていた大振りなミヤマクワガタが☆になりまして、是非とも標本にしてみたかったので緑の液体を注射でぶすっとやってみたんですね。

これで夏休みの自由研究が完了と安心していたところ、みごとに腐りまして、トンデモない悪臭を放つようになってしまったのです。

さすがにそんな臭いものを学校に持って行ったりはしませんでしたが、愛着のあるミヤマでしたのでその状況に至っても捨てられずベランダに放置、首と胴体がグッバイした状態で長いこところがっていました。

で、夏休みの自由研究の方はといえば最終日に父が何か別のものを作ってくれ、申し訳程度に手伝って終わらせることに。。

そんなほろ苦い思い出のある「昆虫採集セット」ですが、注射針は本物ですので今の基準で言えばかなりアブナイおもちゃなんですよね。
今年うちの6歳児が小学校に上がりますが、とてもこんなおもちゃは持たせられません。。
つくづく昔はリスクに寛容でおおらかな時代だったなぁと思います。

さて、外国産カブトムシが憧れの的だったというのは冒頭に記しましたが、当時手にできなかったものは40年近くを経た今でもその気持ちが成仏できないのであります。

で、買っちゃったのがこちら。
じゃじゃーん、本物のヘラクレスオオカブトです。


ロートル個体ということで安く買えました。
それにしてもデカい。約14cmということで、国産カブトムシとくらべたら倍くらいの長さです。
オリーブ色の背中が幼少の頃のイメージ通りで、とても美しくて気に入りました。

大切に飼って☆になったら標本にするのもいいかもしれないですね。
緑の液体をぶすっとやるようなミスはもう致しません。。


後日、実家に帰った時に屋根裏部屋を探したところ、当時見ていた昆虫図鑑が出てきました。
学研だったのですね、昭和55年(1980年)4月初版とのことですが、手元にあるのは昭和56年(1981年)1月の第4刷になります。


このコミカルなてんぱったサルの顔とヘラクレスオオカブトのオリーブ色の背中が印象的で忘れられません。。

本物のヘラクレスオオカブトを入手してから分かったのですが、ヘラクレスオオカブトの角は挟む力が非常に強く、しかも挟む動作が超速いんです。
ジャキーン!という感じ、といえば伝わりますかね?

ある日、お世話をしている時に私もうっかり手をジャキーン!とやられてしまいまして、きっとその瞬間、私の顔もこのサルのようになっていたと思います。。

子供の頃の私は、せっかくカッコいいカブトムシのイラストに、変なカッコ悪いサルが描き込まれていることを残念に思っていたのですが、40年近く後に本物のヘラクレスオオカブトを手にしたら、サルの重要性が分かって感動しました。

当時、上野の国立科学博物館で標本を見るまでは、この図鑑にあるイラストが外国産カブトムシに関する情報の全てでしたので、本当にそんなに大きくて美しいものが存在するのか半信半疑。

簡単に本物が手に入ってしまう現代の子供達を羨ましく思うのと同時に、半信半疑の状態で繰り返し絵を見て想像を膨らました昔の自分も、ある意味幸せな時間を過ごしたなと思います。
まあ、そのせいで今もカブトムシから卒業できないのは確かです。。

2020年2月11日火曜日

1950's松戸市横須賀の写真


ここ数か月のこと仕事が多忙で全く身動きが取れず調査などが滞っておりましたが、やっと落ち着きまして時間をとることができるようになりました。。

新松戸の昔のことは老舗様を訪問してお話を伺うのが一番。
今回も飛び込みでお話を伺いに行ったところ予期せず歴史的価値の高い写真をお借りすることが出来ました。

私の関心は主に70's~80'sの新松戸なのですが今回お借りしたこの写真はそれよりも断トツに古く、1950'sの横須賀地区の風景だそうです。

[写真1]

白黒写真ですし一部不鮮明ですので何が写っているのかよくわからないかもしれませんが、よく見ると写真右端にかすかに流山線の線路が見えているのがわかります。

馬橋⇔流山間に流鉄の前身「流山軽便鉄道」が開通したのは大正5年(1916年)とのことで、この頃は既に人の移動や物流を支えていました。

写真右の方に見える白い小屋のような建物は揚水場とのことで、そのすぐ手前を流れる新坂川から農業用水をくみ上げる施設です。

 ちなみに新坂川は、流鉄よりも後のこと昭和8年~12年(1933年~1936年)に掘られた人工の川なのだそうです。 調べるまで全く知りませんでした。驚きですね。

写真中央付近に少しぼんやりと映っている白っぽい構造物は新坂川にかかる橋です。
木に隠れて見えませんが橋の左側の方に旧小金城趾駅があったようです。

写真左上の方は霞んでいてよく見えませんが辛うじて田んぼの畦道が確認できます。そのあたりが現小金高校付近でしょうか。

 上の写真の現在の様子は以下のような感じです。
これまた木が邪魔していて見えませんが中央付近に新坂川の橋と流山線の踏切があります。(文末に地図を付けましたので後ほどご確認ください。)


他にも写真集のような冊子お借りすることができましたのでその抜粋を合わせてご紹介します。1960年代とのことです。

[写真2]
これは平戸弁天付近から北方向を撮った写真になります。
Wikipediaによると、モハ105は1954年~1979年に使われていたようです。

写真1の右の方に見えた白い小屋(揚水場)がはっきりと映っています。
現時点で似たようなアングルから写真をとると以下のような感じです。



[写真3]
かつて平戸弁天よりも南側にあった旧小金城址駅です。
1953年~1967年にこの位置にありました。
奥の建物には駅員さんが住み込んでいらっしゃったようです。
高倉健さん扮する「鉄道員(ぽっぽや)」という映画が思い出されますが、昔は住み込みが基本だったのですかね。


こちらも今時点では下のような感じ。こんなところに駅があったんだ―、というのも驚きですが線路左側の畑や雑木林が70年もの歳月を経て健在なのには驚かされます。



[写真4]
これは県道280号(白井流山線)とのことです。
左の石垣のように見えるのは流山産の瓶を積んで築いてあるのだそうです。
当時、東邦酒類という大手の酒造会社の工場が流山にあったそうですのでもしかしたらこの瓶もその東邦酒類製かもしれませんね。東邦酒類はその後、現メルシャンに買収されたとのこと。


現在の様子は概ね以下のような感じです。




[写真5]
こちらも県道280号(白井流山線)とのことで、写真4と逆方向を撮った写真となります。
道の左側には肥溜めがあって臭かったとのこと。



今のビューは以下のような感じです。



どの写真も素晴らしいですよねー。
現在の地図で各写真の位置をマッピングしてみました。



大変貴重なお写真と資料をお貸しくださいました老舗様に厚くお礼申し上げます。





2020年1月13日月曜日

宇宙大帝ゴッドシグマの超合金という懐かしいアイテム

いつものことながらWikipediaによりますと、宇宙大帝ゴッドシグマというロボットアニメが放映されていたのは1980年~1981年とのことで、自分は小学校1年生でした。

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宇宙大帝ゴッドシグマ』(うちゅうたいていゴッドシグマ)は、1980年(昭和55年)3月19日から1981年(昭和56年)2月25日まで、東京12チャンネル水曜日19:30-20:00枠に全50話が放送されたテレビアニメ。
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美術や音楽などがずいぶんとレトロなもので意外なのですが機動戦士ガンダムの放映よりも1年だけ後なんですね。
当時ガンダムは設定が新しすぎて人々に受け入れられなかったとのことですので、例に漏れずこの時点で自分が熱狂したのも、こちら宇宙大帝ゴッドシグマの方なんです。

ストーリーは全く覚えていないのですが合体シーンとオープニング、エンディングは記憶に刻み込まれています。
あとΣのロゴも見覚えがあるような。。

そんな一度聴いたら忘れないキャッチ―な歌詞とメロディーのオープニングとエンディングですがyoutubeで見つけることができました。


エンディングも特徴的で、水、金、地、火、木、土、天、海、冥、という太陽系の惑星にちなんだフレーズが太陽系の絵をバックに繰り返されます。



当時はボイジャー1号が木星や土星に接近して写真を地球に送ってきたのと同時期ですから時流に乗っていたのでしょうね。

自分は今でも天体望遠鏡を持っていますし高校生の頃には自作のプラネタリウムを作ったりするくらい結構な天文好きなのですが、そのきっかけはきっとこの主題歌だと思います。
「すいきんちかもくどってんかいめい」って何?と母に質問した記憶があるのですが、その直後に宇宙の図鑑を買い与えられました。
欲しいとは言ってなかったんですけどね、こういうものは頼まなくても買ってくれました。

そう、これこれ。ヤフオクにありました。小学館の学習百科事典「宇宙」です。
ヤフオク!より引用

この図鑑は初版が1975年ということで、ボイジャーが木星に到達する数年前の編なのですね。
土星や木星の綺麗な写真が無い時代ですので、惑星の風景は宇宙美術分野の第一人者として知られる岩崎一彰さんによる想像画でした。
こんな絵を描かれる方です。(明石市立天文科学館より引用)


脱線しました。。
そんな宇宙感に溢れたゴッドシグマですが、このたび超合金のおもちゃをヤフオクにて入手ましたのでご紹介します。
三体のロボットがいますが左からそれぞれ海鳴王、空雷王、陸震王という名前だそうです。


こいつらを合体させると以下のようになります。


海鳴王と陸震王がブーツのようになって空雷王の足にハマるんですね。
動画も撮りましたので、是非ご覧ください。(後で気づいたのですが、右足と左足が逆でした。。)




この合体シーン、冒頭にも書きましたが強く心に刻み込まれており忘れられません。
幼心によっぽど魅力的に感じたからなのでしょう。

なんせ40年近くも昔のこと、あの頃の気持ちを正確に表現するのは難しいのですが、「あんなにも強くなれる長靴を自分も履いてみたい」というのが魅力の根源だった気がします。

もし、ただ履くだけで仕事を片付けてくれる長靴とか、ただ履くだけでお金を稼いでくれる長靴があったら両足にズッポりと履いてみたいものですが、オジサンになった自分は発想が汚れてしまったのでしょうか。。


後日、実家に帰った時に屋根裏部屋を探したところ、当時見ていた図鑑が見つかりました。
昭和55年(1980年)3月の第16刷とのことですので、ちょうどゴッドシグマが放映されていた時期にあたります。

怪物が片目を開いているかのような木星の想像画、大きな腕を伸ばしているかのような太陽の想像画がとてもダイナミックで、ある意味実物の写真で埋め尽くされた今時の図鑑よりも子供たちに夢を与える力強さがあるかもしれませんね。。





2019年3月22日金曜日

ガンプラという懐かしいアイテム


Wikipediaによると起動戦士ガンダムの初回放送は1979年とのことですが、当時5歳だった自分はガンダムを全く知りませんでした。

自分が初めてガンダムに出会ったのは再放送時の1981年、小学校1年生の時です。
ロボットアニメと言えば勧善懲悪的なストーリーが当たり前だった時代ですので、敵キャラの方がむしろカッコいいガンダムは当初視聴者の理解を得られなかったようです。

複雑なストーリーが視聴者に理解されて人気が出たのは再放送されたからというのは有名な話で、自分の場合もまさに再放送世代なのでした。

ご存知の通りガンダムには「ニュータイプ」、「モビルスーツ」、「スペースコロニー」など聞きなれない単語や概念がいっぱい出てきますので、7歳の自分には理解が難しくストーリーは殆ど理解できませんでした。
が、それでも熱狂させられたのは友達に釣られたというのもあったでしょうが、やはり美術や音楽などが秀逸だったからなのでしょう。

当時は駄菓子や文房具のイメージキャラがガンダム一色なくらいの大変な人気で、特にプラモデルはお店に入荷すると即完売。情報弱者の7歳児には全く手に入らない代物でした。

当時新松戸でプラモデルを買えるお店はダイエー(2階だったかな?)のおもちゃ屋さんと新松戸5丁目にあったファニーランドという模型屋さんだったのですが、どちらの店もいつ行っても品切れ状態で、奇跡的に在庫があっても「アッガイ」とか「ゴッグ」などのカッコよくない系のキャラか又はやたらと入荷数が多かった「ジム」なのでした。

そんな中1982年1月24日(日)にはガンプラを買いにダイエーに殺到した小中学生がエスカレーターで将棋倒しになり重傷者を出す事件まで発生しました。
情報に疎く入荷日を狙って買いに行くなどできなかった自分は巻き込まれることはなく、たしか自分が通っていた横須賀小学校からも怪我人は出なかったはずですが、事故の翌日には学校でキツイ注意喚起があったのを覚えています。

しばらくお店が休業になったかガンプラの入荷がなくなったか、そんな自粛的な措置があったような記憶があります。(正確には覚えていません。。)

そんなガンプラですが35年以上を経た今では、ヤフオクを探すと当時モノが以外とお手頃なお値段で出品されているんですよね。
善良なお金の使い方とはこういうもの、大人買いしてみました。

ガンプラの箱が積まれている様子を見るとワクワクするのはきっと自分だけではないしょう。
この景色が何とも言えず心地良いので今回入手したものを組み立てるつもりは毛頭ございません。
(写真中の組み立て済みのものは、最近ドンキホーテで買った今どきのものです。)

写真上部でグフが豪快に切られている丸縁の絵は巨大なメンコです。
これだけが当時ファニーランドで買って実家に残されていた純粋な意味での自前購入品になります。

あと、ガンダム関連グッズで忘れられないのはカバヤ食品から発売されていた「新しいデラックス・ステッカー入り.ガンダムガム」(50円)です。

こちら駄菓子屋で売られていた板ガムなのですが、付属のステッカーが美しくて種類も多く、また板ガムも大きかったのでお買い得感がありまして、これを買うためにお小遣いを握りしめて中山酒店に通っておりました。

当時自分が購入したものはもう残っていないのですが、最近ヤフオク等で集めたのがこちら。

いやはや懐かしい限りです。

引き続きもう少しプラモを買い足して駄菓子屋風の棚に格納してみたいです。
なんといってもガンプラは箱積みになっている景色が最高なのです!

2018年12月2日日曜日

用水路でザリガニ釣り


写真に刻まれている1983年5月7日というのを信じれば土曜日の午後です。
当時はまだ週休二日制ではありませんので午前中は学校があり、その後自分を含め共働きの家庭の子は学童保育所に通っていたのでしょう。
今回の写真は学童保育所の友達とザリガニ釣りに行った時の写真と思われます。


今ではあまりにも景色が変わってしまい正確な場所を特定するのは困難ですが、記憶によれば下の地図の赤枠のあたりです。新松戸西パークの北西、南流山中学校の南あたりです。


当時はこの辺りには田んぼが広がっておりまして用水路の中にはザリガニのみならず各種のカエルやクチボソ、金ブナ、ライギョなどが生息しておりました。

成熟した赤いザリガニは「まっかちん」と呼ばれていました。
当時は娯楽の少ない時代で猫も杓子もザリガニ釣りをしていましたので、キャッチ&リリースを繰り返されたザリガニ達はすっかりスレてしまっていて、なかなか餌に掴まってくれませんでした。
稀に「まっかちん」を釣り上げるとかなりの達成感を感じたものです。

小学生がザリガニを狙う一方、中学生のお兄様方は鮒やライギョを狙って釣りをしていました。
当時はまだルアーなどは一般的ではなかったのですかね、ライギョ狙いの人は生きたカエルに針をぶっ挿して泳がせて釣っておられたようです。

あるとき知らないお兄さんからもらった鮒や自分で捕まえたクチボソなどを持ち帰り、父の小さな金魚水槽に勝手にINしたことがあったのですが、なんせ野生の魚ですから予想以上に強く、かなりの金魚がつつかれて殺されてしまいました。
父を悲しませる結果となり、捕まえた魚を逃がしに行った思い出があります。

あとザリガニは持ち帰ってマンションのベランダで飼ったりしていたのですが、結構脱走してベランダから落ちるんですね。住んでいたのは7階でしたので、よくマンション下のアスファルトでペッちゃんこになっていました。
そういえば自分が飼っていたものではありませんが、血だらけで瀕死のカメが落ちていたのを見つけたこともありました。

思い出を書くうち生き物残酷物語みたくなってしまいましたが、ともあれ昔は新松戸にも田んぼや用水路などの自然が残っていて生き物がたくさんいた、というお話でした。




2018年11月10日土曜日

プラレール新幹線0系という懐かしいアイテム


プラレールって凄いですよね。
なんせ40年以上もの長きにわたって基本的な構造はおろか部品の規格などもほとんど変わっていないんです。
極めて先見の明がある設計だったと感嘆せざるを得ません。

自分は5歳くらいの時から小学校3年生でNゲージに乗り換えるくらいまではこのオモチャでよく遊んでいました。

当時使っていたものはもう実家にもありませんが、この度ヤフオクで落札に成功しましたのでご紹介します。


豆電球が点灯して鼻が光るひかり号(0系新幹線)なのですが、これ、懐かしい人多いんじゃないでしょうか。

新松戸コーポに居住していた当時はリビングから寝室から全ての部屋をぐるっと回るような壮大なレールを敷設して電気を消して暗い中を走らせたりして楽しんでいました。

あともう一つは国鉄色と言われる橙色と赤の鼻ぺちゃな特急ですね。こちらは電池を入れても動かなかったのですがあまりにもレトロなその姿をみるだけでほっこりした気分になります。

動画も撮りましたので是非ご覧ください。


使っているレールや駅やトンネルなどは数年前に自分が子供に買い与えたものです。
40年もの時を超えて昔の電車が今のレールで全く問題なく走れちゃうあたり、不思議な感じがします。

動画の撮影中、うちの5歳児が興味津々で近寄ってきました。
「か~して!」って言っても「だ~めよ!」。
だって、おまえ壊すじゃん。。

お片付けして大事にしまっとこっと!
鼻ぺちゃ特急はそのうち修理したいです。